品川から2駅、知る人ぞ知る「処刑場があった街」の"実態"  罪人が渡った「なみだ橋」の残る街が、都心なのに再開発されない事情

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もうひとつ、こちらで面白い情報をもらった。

「江戸時代当時はこの近くに鈴ヶ森刑場があってね。罪人がこの世との今生の別れを惜しんだ『なみだ橋』が今でもあるから行ってみるといいですよ」(野口さん)

鈴ヶ森刑場へ向かう「なみだ橋」の先に

今回歩いた場所(国土地理院 電子国土Webから筆者作成)

前出の野口さんに教えられて、駅から歩いて5分ほどの場所にある「なみだ橋」を訪ねてみた。記述のようにこの名は通称で、正式には「浜川橋」である。

渡った先には、かつて鈴ヶ森刑場があった。罪人たちは、この橋を通って刑場に連れて行かれた。井原西鶴の『好色五人女』で知られる「八百屋お七」もここで火あぶりの刑に処されたとされる。

浜川橋(通称なみだ橋)。罪人たちはここを渡って鈴ヶ森刑場に連れて行かれた(筆者撮影)

「なみだ橋」といえば、東京都にはもうひとつ、荒川区の南千住にもある。表記は「泪橋」で、橋の向こうには小塚原刑場があった。南千住のほうは今はもう橋はなく、交差点やバス停の名称として残るだけだ。

こちらはマンガ『あしたのジョー』で知られるようになった。主人公・矢吹丈のトレーナー丹下段平のジムが泪橋の下にあるという設定だ。

どちらのなみだ橋も名前の由来は同じだ。罪人にとっては橋の向こうはもう「あの世」である。橋を渡る前にこの世との別れを惜しんで涙を流した。そんなところから「なみだ橋」の名で呼ばれるようになった。

少し歩いただけで、いくつもの歴史と出会うことができる。これも立会川の魅力といえるかもしれない。

駅前から連なる商店街の店々は、立会川に沿うように並んでいる。地元の方が「名前は出さないでくれよ」と前置きして次のように説明してくれた。

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