それから友人のほとんどが亡くなってしまった。亡くならないまでも老人ホームに入ったり、認知症になってしまったり。年賀状のやり取りもどんどん減っていき、今年もやり取りしたのは2人だけ。
そのうちの1人から今年届いた年賀状は、判読するのが難しいくらいたどたどしい文字で「これが最後になる」とあり、「さようなら」と締めくくられていた。
親しい人の訃報にショックは受けるけれど、仕方がないことだと穏やかに思うようになった。だから涙は出ない。
「悲しくてワアワア泣いたのは、15歳の頃に兄を見送ったときが最後かな。私も幼かったから。年を取るごとに死が身近なことになってきて、当たり前のこととして受け入れられるようになりました。亡くなった事実よりも、亡くなり方に思いがいきます。天寿を全うしたんだね、よかったねって」

過去を振り返ることは、後ろ向きなことではない
自身をめぐる静かな変化の中に身を置きながら、三重子さんは不思議なことに気がついたという。つらかった思い出があっても、それは“ふるい”にかけられたように消えて、いい思い出だけが残っているのである。たとえば小学校時代の記憶。

「小学校のとき、初めての学芸会で『さるかに合戦』のカニ役をやったんです。すごくうれしくて、そのときのセリフは今でも言えます。『私ははさみで土ほろう』って」
過去を振り返ることは、決して後ろ向きなことではない。「だって過去は私を作ってきたものだもの」。だから、思い出の詰まったものを捨てることは、自分をなくしてしまうことのように思えてしまう。
しかし、いい思い出は形に残さなくても、記憶の中にいつまでも鮮やかに残っていた。ひと足早く旅立った友だちとの日々も、いつでも瞼の裏のあたりに浮かんでくる。
だったら捨てられないものたちも、ふるいにかけられるかな? そんなことがちらっと頭をよぎる三重子さんである。
書籍の写真:亀畑清隆


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