東ドイツの面影「ベルリンの鉄道」90年代の記憶 戦前製電車が「壁」で寸断された路線を走った街

1989年11月、東西冷戦の象徴的な存在だったベルリンの壁が壊され、翌1990年には東西ドイツが統一を果たした。
かつて、世界各国の鉄道を紹介した小学生向け図鑑の東ドイツのページには「写真の撮影は厳しく制限されている」と書かれ、駅で撮影したスナップのような、しかもピントが合っていない写真が1枚掲載されているだけだった。西ドイツへ行くことはあっても、東ドイツへ行くことなどまずない、とまで思っていた。
そんな秘密のベールに包まれていた東ドイツとベルリン。しかし東西統一の数年後、筆者は思わぬ形でベルリンに滞在することになった。まだ「東側」社会主義時代の面影を色濃く残していたころのベルリンの鉄道を紹介したい。
「壁」で寸断されていた市内の電車
筆者がベルリンに滞在したのは1996年。大学でドイツ語を学んでいた筆者は「ベルリンでの語学研修」という掲示に飛びついたのだ。かくして、東西ドイツ統一から6年が経過したこの街を訪れることになった。
Sバーン(市街電車)の駅で市内へ向かう電車を待っていると、轟音と共にインターシティがやってきた。牽引しているのは「ルドミラ」の愛称で親しまれている、旧ソ連(現ウクライナのルハンスク)製の232型ディーゼル機関車だった。これが、筆者がドイツで撮影した最初の鉄道写真となった。
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