東ドイツの面影「ベルリンの鉄道」90年代の記憶 戦前製電車が「壁」で寸断された路線を走った街
ドイツでは都市部の市街電車・近郊鉄道を「Sバーン」と呼ぶ。ベルリンのSバーンは、ベルリンの壁によって市内が分断されたことで路線が寸断されており、統一から日が浅かった当時はまだ各所で路線がズタズタの状態だった。
市内を1周する環状線もまだ環状運転は復活しておらず、途中駅止まりで折り返していた。壁があった部分は線路が撤去され、路線網の再構築が行われていた。

個性的な電車が走っていた「Sバーン」
当時はまだ、戦前製の475系と称する旧型車両がたくさん走っていた。ベルリンSバーンの象徴的な存在で、前面3枚窓や木製のベンチシートなどが特徴だった。ドアには安全装置などはなく走行中でも無理やり開けることができてしまうため、不良の若者らが走行中にドアを開けて身を乗り出す、などといったことが日常茶飯事であった。
このほか、475系を更新した2枚窓の476系、1936年のベルリンオリンピックに合わせて製造された「オリンピック電車」こと477系など、個性的な車両が多く走っていた。これらの旧型電車は、現在の主力である481系の導入によって一掃され、ベルリンSバーンは近代化された。


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