東ドイツの面影「ベルリンの鉄道」90年代の記憶 戦前製電車が「壁」で寸断された路線を走った街

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興味深かったのは、東西分断の末期に製造された480系と485系だ。前者は旧西ベルリンのベルリン輸送会社(BVG)、後者は東ドイツ国鉄と、それぞれ別々に導入されたものだ。しかし、製造年代は近いのに外見から性能まですべてが異なり、結果として東西の経済格差のようなものをまざまざと見せつけられたような気がした。

ベルリンSバーン 480系
2025年の今見ても新型車両にしか見えない前衛的なデザインの480系=1996年(撮影:橋爪智之)

とりわけ外見は、旧東の485系が垢抜けない、非常に古臭いデザインだったのに対し、旧西の480系は2025年の今見ても新型車両と勘違いする人がいるほど斬新なデザインを採用した。485系は惜しまれつつ2023年限りで引退したが、480系は更新を行い、現在も市内各路線で営業運転を続けている。

ベルリンSバーン 485系
その色から「コカ・コーラ」と言われた485系=1996年(撮影:橋爪智之)
【写真】観光客誘致のためSバーンには「パノラマ車両」も導入された

西ベルリンから路面電車が消えた理由

市内交通を担う鉄軌道としてはトラム(路面電車)もあるが、ベルリンのトラムは地図を見ると路線網が大きく東側に偏っているのがわかる。分断当時の西ベルリンは、トラムをあっという間に撤去してしまったためだ。

次世代の都市交通として、今ではトラムは欠かせない存在となったが、1950~1960年代は他国と同様、自動車交通の邪魔になる時代遅れの遺物と考えられていた。

壁ができる前、まだ比較的自由に東側と行き来できたころの西ベルリンは、東ベルリン市民や東ドイツ国民にとって「西側のショーウィンドウ」という役割を果たしており、時代遅れと考えられていたトラムは真っ先に撤去されてしまったのだ。

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