90日間延期にはなったが大混乱は続く…「トランプ関税」が引き起こす危険シナリオ

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今回のトランプ関税で引き合いに出されるのは、むしろ1930年代の保護貿易政策だ。1930年といえば1929年に起きた「大恐慌」を連想するが、株価が壊滅的な大暴落を起こした時代だ。当時、共和党の大統領だった「ハーバート・フーヴァー」は、有効な政策を何ひとつ出せずに、大恐慌をより深刻化させた大統領として知られている。

法案提出者の名前をとって「スムート・ホーリー法」と呼ばれるものだが、1930年6月にアメリカ議会を通過したことから「1930年関税法」とも呼ばれる。本来は、株価暴落の政策ではなく、農業従事者を守る目的で成立した法案だが、3300品目のうち890品目の農産物、工業製品に対して33~40%の関税をかけた。フーヴァー大統領が1930年6月17日に周囲の経済学者1000人の進言を無視して署名している。

保護貿易が世界規模で輸入量を縮小させた

この高関税に対抗して、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、英国は直ちに報復関税をかけて関税戦争が勃発。結果的に、保護貿易はヨーロッパ各国の経済に大きな打撃を与えるなど、深刻な影響をもたらしている。実際に、大恐慌後の世界75カ国の「輸入量合計」を示した資料を見ると、その深刻さがよくわかる。

●1929年1月……29億9800万ドル
●1930年1月……27億3900万ドル
●1931年1月……18億3900万ドル
●1932年1月……12億600万ドル
●1933年1月……9億9200万ドル
(国際連盟調べ、「大恐慌 ベルナール・ガシェ」より)

保護貿易が世界規模で輸入量を縮小させていることがわかるはずだ。結果的に、アメリカでは生産と雇用が改善する兆しを一時的に見せるのだが、株式市場の崩壊の影響が大きすぎて、成果は目に見える形では現れなかった。結局、高関税政策を厳しく批判したフランクリン・ルーズベルト大統領に、二期目の大統領選挙で敗れることになる。

フーヴァーが導入した高関税政策は、第一次世界大戦後に徐々に拡大、普及していた自由貿易主義を根底から覆すものであり、最終的にアメリカの「失業率」は一気に25%まで上昇。大恐慌の影響をさらに増幅させたという見方もある。経済学者の中には、このスムート・ホーリー法こそが、1930年代の大恐慌という悲惨な時代を引き起こした元凶だと主張する人も多い。実際にアメリカでは1937~1938年にかけてが、最も深刻であったとされている。

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