面白そうに振る舞える聞き手になれればいい--『聞く力』を書いた阿川佐和子氏(作家、タレント)に聞く
ところが、日本では、こういった合の手が入っても読み物として成り立つ。さらに、その場の雰囲気にエンターテインメント性を求める読者さえいる。週刊誌の対談を始める前に、米国に1年ほど住んでいたが、日本との違いをつくづく感じた。
──日本では会話の際に相づちをかなりの頻度で打ちます。
米国に住んでいたとき、今ではちょっと考えられないが、英語でインタビューに行く機会もあった。その際、米国人は黙って人の目をじっと見ながら聞いている。そして問いが終わると、号砲が鳴ったかのようにまくし立て始める。アハアハという音の相づちは、聞いていますよという証拠止まりで、もちろん、日本流に近いオーケーやホワイ、グレートなどの単語はいちいち言わない。
テレビのトーク番組やインタビュー番組でもそうだ。ほかの人の話が終わるとせきを切ったように話し始める。自分がしゃべっていることに相手が反応しなくても、言いたいことは言う。これでは日本的な対談や座談会は成り立たない。
日本人は、聞いている人が相づちを打たないと、何となく声が小さくなっていく気がする。留守番電話に一方的にしゃべるのが嫌だという人も多い。相づちや合の手が入るとやりやすいと。つまり、周りの協力を得るとしゃべることに加速がつく。それが民族的には合っているのかなと思う。
──この本には有名人とのエピソードが豊富にちりばめられています。父上が著名な作家であることも生きていますか。
自分自身の聞く力の取っ掛かりとして、城山三郎さんとの話は欠かせない。うちの父は城山さんと何度もお会いしているが、私は直接にお会いしたのはインタビューが初めて。私のほうがしゃべるのを止められないほどの聞き上手だった。それも、鋭い突っ込みや、こちらがドキッとするような質問はせず、ただひたすら「そう」「それで」「面白いねえ」「どうして」「それから」などと、ほんの一言を挟むだけ。相手が「この人に語りたい」「もっと話してしまおう」と思うよう、面白そうに相手の話を聞けるようになればいい、と開眼した。