「CXでは従来から、現場情報を持つメンバーが協議した内容を上程したものが、『××階』というブラックボックスの中で意思決定され、その結果が下命されるというプロセスが常態化し」「そこでは、誰が最終意思決定者なのか(社長なのか、会長なのか、日枝氏なのか)という責任の所在が不明確であり、上程した内容がどのような理由で変更されたかの理由も不透明であった」と述べている。
責任所在の体制は、まともだった社員を変えてしまう
強力な権威の光線が垂直に差し込んではいるが、その権威の責任の主体は明確には特定できず、かといってそれに異を唱えれば冷や飯を食わされることになる。
一方、その権威に連なれば自己の責任は上位者に順送りにされていく。
そのような権力勾配の中で個人は無力感にさいなまれ、多くの人々が受動的な立ち位置に葛藤を抱えざるをえない。丸山の定義とは異なる部分はあるが、これも無責任体制の一種といえる。
ここで問われることになるのは、前述した「人格」ではなく「立場」次第で自分の言動を一転させることに対する曰く言いがたい教訓である。特権的な地位を濫用するのか、そうでないのかはその人間の地の部分が最も露見する。
わたしたちは職場や学校といった領域で、類似の課題と向き合うことを余儀なくされ、今後もそうであるからこそ、今回の報告書が他人事のように思えないのではないだろうか。
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