おそらくこのような指導層の問題点は、多かれ少なかれわたしたちの身の回りにある組織や集団に内在しているものであり、パワハラやセクハラを容認する体制と一体的であればなおさらかもしれない。
この丸山が示した図式は、実のところ指導層のみにとどまらないため相当に根深い。評論家の山本七平は、戦時中に目撃した「ある状態で“ある役つきの位置”におかれると一瞬にして態度が変わる」「事大主義」についてこう述懐している(以下、『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫)。
山本は当時、近所でよく見かけていた愛想の良い「御用聞き」の壮年男性が、徴兵検査の会場で軍服姿で威張り散らしているのを目にし、同一人物とは思えずショックを受けたという。
戦後、山本はこのエピソードをある教授に「無原則に見える」と話すと、「無原則ではなく、これが事大主義すなわち“大に事える主義”です。その点では一貫しているわけです。御用聞きにとってお顧客は“大”でしょう。だからこれに“つかえる”わけです。ただそのとき彼は、自分より“小”なものに対しては、検査場であなたに対してとったと同じ態度をとっていたはずです」などと解説した。
そして、これは丸山が「抑圧の移譲」と呼んだいびつなサイクルを作り出す。「日常生活における上位者からの抑圧を下位者に順次委譲して行くことによって全体のバランスが保持されているような体系」(前掲書)であり、自由な主体的意識は消え去り、各人の行動はより上級の者の存在によって規定されることになる。
報告書が批判する「人権意識が低く、セクハラを中心とするハラスメントに寛容なCX全体の企業体質」は、このような「人格」ではなく「地位」がその人の言動を決める「事大主義」と、それによって助長された「抑圧の移譲」によって強固になっていったことが想像できる。


日本企業らしい?「責任者不在の無責任体制」
そこに輪をかけて事態を悪化させたのは、 報告書が「責任者不在の無責任体制」と評した経営層の失態である。
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