「4年で100店舗以上が閉店」「いきなりステーキ運営も迷走だった」幸楽苑。大量閉店を経て、”徐々に復調”してきているワケ
「ラーメン屋」から「ちょい飲みできる町中華」という姿に、徐々に変化してきている様子がわかる。

「デフレの勝者」から迷走へ
幸楽苑を訪れて感じたのは、同社は「安くておいしい」という路線に注力し、そのラインで店の姿を変化させていることだ。ただ、そんなことをいったら「そもそも幸楽苑ってそういう店なのでは?」と思う人がいるだろう。確かに、そうだ。
そもそも同社は、現社長である新井田傳氏が父の料理店を継いで、1970年に株式会社化したのが始まりだ。傳氏は、渥美俊一率いるペガサスクラブに大きな影響を受け、その教えを忠実に守りながら店舗を広げてきた。いわゆる「チェーンストア理論」だ。
その理論とは、店舗間のオペレーションを均一化することで商品価格を下げ、安価で良質な商品を国民全体に広く届ける、というもの。事実、同社は「290円ラーメン」で話題となり、特に2000年代のデフレ基調の時代においては特に目立つチェーンの一つとして確たる地位を築いてきた。
ただ、2010年代後半からは若干の迷走感が否めなかった。例えば、2017年あたりからは、「焼肉ライク」や「いきなり!ステーキ」といった他チェーンのフランチャイズ展開を始めた。幸楽苑の不採算店舗をこれらのブランドに代えるといったものである。創業者である傳氏に変わり、新社長になった傳氏の息子・新井田昇氏が「ラーメン一本足打法」からの脱却を目指して取り組んだものだが、うまくいかなかった。
さらには女性客の取り込みや顧客層の若返りを狙って、メニュー開発も行った。鳥羽周作シェフ監修で作ったビーガン餃子や、当時流行っていたユーグレナ(ミドリムシ)つけめん、さらには雪見だいふくなどとのコラボ、チョコレートらーめんなどあらゆる戦略を打った。
しかし、幸楽苑がそれまで抱えていた顧客層とはターゲットがずれたメニューだったことが災いして、ヒットは生まれず。結果論でしかないが、振り返ってみると当時の試行錯誤は「迷走」だったと言えるだろう。
2017年3月期期末には546店舗あった店舗数が、2025年3月第3四半期末では373店舗と、10年足らずで3割以上減った計算になる。
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