「覚せい剤の密売人が大きな交差点ごとにいたけど…」日本三大ドヤ街「大阪西成区・釜ヶ崎」で≪日雇い歴45年≫男性が語る”体感治安”の変化

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鉄筋工の日雇い労働をしていた40代の頃の水野阿修羅さん(写真:本人提供)

バブル崩壊後、釜ケ崎の人口が減り、高齢化が進んだ。ホームレスが減り、生活保護を受給する人が増えた。高齢の生活保護受給者らの多くが、福祉マンションで暮らすようになった。福祉マンションでは、スタッフが支援や相談対応をするが、部屋で孤独死する人も増えた。

日雇い仕事などをあっせんする「労働福祉センター」を通した求人が減り、ネットで仕事を探す人が増えた。「どんどん変わっていくが、人付き合いが苦手な人や、過去を捨てた人を受け止めてくれるまちなのは同じ」

2011年の東日本大震災も大きな節目になった。復興や除染事業の求人が多くあり、釜ケ崎の労働者の多くが東北に向かった。

「日給や料理、宿舎の条件をあげて人手を集めるでしょう。どんなに待遇が良いかが口コミで広がり、『日雇いの相場』になっていった」

労働者は盆や正月になると、各地の「飯場(はんば)」と呼ばれる工事現場の作業員の拠点施設から戻って情報交換する。「東北での待遇があっという間に広がり、飯場替えが広域で進んだ」。情報交換により労働者が戻ってこなくなるのを心配し、盆や正月も飯場を閉めない業者も出てきたという。

あちこちにいた覚醒剤の密売人も今は…

釜ケ崎の人口が減り、福祉マンションの空室も目立ち始めた。目にしたのはマンション前の炊き出しだった。

「マンションの多くは食事なしだけれど、炊き出しで人を集めて『うちに入居しないか』と呼び込む。ビール付きもあり、まさに『炊き出しバブル』だった」

2013年からは、大阪市の「西成特区構想」が始まった。釜ケ崎を中心に治安や環境の改善が進み、水野さんも「体感治安の変化」を感じている。

「酔って野外で寝込んでいる人がポケットのお金を盗まれたり、路上でひったくりにあったりする被害は何度も見聞きしてきた。この10年でめっきり減ったなあ」

あちこちにいた覚醒剤の密売人も見かけなくなったという。「大きな交差点ごとにいたけど、今は全然見ない。賛否両論あるが、防犯カメラが増えた効果でもある」

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