今では「1年中お祭り状態」の浅草にも≪戦後の低迷期≫があった。そこから”一大インバウンド観光地”になるまでをアナログ写真で振り返る

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 8
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

1989年には、隅田川に架かる吾妻橋を渡った浅草対岸のアサヒビール工場跡再開発で、金色の炎を象ったオブジェを冠したスーパードライホール、泡立つ生ビールジョッキを模したビル・アサヒビールタワーが完成。江戸時代から寺社参詣や芝居見物など、非日常を楽しむ街だった浅草から見える風景として、この浮世離れした建物はうまくマッチしたようだ。

業平橋・押上地区にスカイツリーが誕生

その後、2000年代に入り、デジタル時代の新たな放送電波塔という位置付けの“新タワー”の建設地が模索されるなか、都内の池袋、さいたま新都心、隅田公園などの候補地から選ばれたのが、浅草の隣り街でもある業平橋・押上地区だった。

のちに東京スカイツリーと命名された、新タワーは、2006年に、この業平橋・押上地区の東武鉄道貨物ヤード跡地での建設が決まり、2012年に竣工。

東京スカイツリーは、東京23区東側のあらゆる産業の起爆剤となったが、この東京随一の景観を街の“借景”として得た浅草は、これでまた観光地としての勢いを復活させることになる。近年の浅草では、隅田川の両岸で、浅草とスカイツリー両方を楽しむ観光客も増え、2020年には東武スカイツリーラインの線路沿いに隅田川を徒歩で渡ることができる遊歩道“すみだリバーウォーク“も開通した。

ここ数年インバウンド客が押し寄せている東京で、浅草は人気の観光地。この街のランドマークである雷門前では、外国人観光客の記念撮影の順番待ちが発生し、コロナ期は閑古鳥の鳴いていた人力車での観光を楽しんでいる人たちも多い。

外国人ばかりではなく、日本の若者たちにも浅草は注目されているようで、街をゆけば、今風のレンタル着物を身につけた女子たちがあちこちで自撮りしていたり、イチゴ飴などのインスタ映えするスイーツに群がっている様子を見かける。

(写真:2021年7月29日、今井康一撮影)
(写真:2021年7月29日、今井康一撮影)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事