子育てには「誰も対応しない」選択肢はない 思いやりが苦しさを生む? 日本社会のジレンマ
夫はプロのチェリストなので、コンサートで遠出することもたびたび。子どもが骨折したときも、どんなに急いでも数時間はかかる場所にいました。となれば、地理的に早く駆けつけられるのはどちらかといったら、私が行くしかありません。
3男が骨折したとき、私は患者さんの予約がびっしり詰まっていましたが、事務スタッフに頼んで全部キャンセルしてもらいました。そして、可能な患者さんにはリスケジュールをお願いし、場合によっては、3男を迎えに行く車の中で音声だけでリモート診察するという方法をとりました。
なかでも申し訳なかったのが、わざわざ海外から来てくれた患者さんです。私自身が電話して事情を説明し、診察を翌日の朝一番に替えてもらったのですが、その患者さんはアメリカでの予定を一日ずらすこととなってしまいました。
こうしたことは、患者さんサイドにとってはもちろん、私にとっても望ましいことではありません。当然のことながら、ものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
でも、子育てには「誰も対応しない」選択肢はないのです。だから、どんなに周りの人に迷惑をかけてしまったとしても、私が対応しなければならないときには私が対応する以外はないのです。それを「理想的ではないけれど、仕方ないことだから、行っておいで」と送り出してくれる環境はありがたいと思っています。
家庭人としての顔を祝福できる環境
人間は多面的であって当然であり、1人ひとり仕事の顔、家庭の顔、あるいは趣味を楽しむ顔などを持っています。最近あった私の病院の会議でも、「職場でも、仕事以外の顔を隠す必要はない。仕事の責任を果たすことは大切だが、『今日は2時から子どもの歯医者さんの予約があるから、早めに終わらせられることは終わらせましょう』とプロジェクトをリードしてもいい。
それで2時前に職場を出るときには、コソコソと出るのではなく、『行ってらっしゃい!』とみんなでその人の家庭人としての顔を祝福できる環境を作ろう」というアナウンスがありました。
塩田:今、内田先生がおっしゃったように、ありのままに助け合える環境は本当に大事ですね。
「ハーバード成人発達研究」という、80年以上続いているハーバード大学の有名な研究があります。そこでは、私たちが幸福を感じたり、健康に長生きしたりするために、最も重要なのは「人との繫がり」だということが繰り返し示されています。
私たち人間は社会的な動物であり、それゆえに人との繫がりがなく孤独な状態でいるとストレスを感じるようにできているんですね。