京大文学部卒の小説家が20年前に経験した小さな町の"学歴競争"、 《「現役東大」合格のライバルはなぜ「1浪京大」に負けたと思ったのか》

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しかし、国崎くんが東大文一に合格しても東大寺落ちの記憶を払拭できていなかったように、そして岸田元総理が出身の早稲田大学(2浪)ではなく「開成OB」のステータスを押し出していたように、最終学歴だけでなく中学や高校受験の栄光と挫折もまた、人の心に永く残っていくものなのだ。

たとえ東大や京大の合格者であっても、それどころか内閣総理大臣になった者であっても、内面的にも勝者であるかどうかは、結局本人にしかわからない。

失われていく固有性や複雑性

私が言うのもなんだが、東大合格何名、京大合格何名といった統計上の数字には含まれない、個々の精神の複雑な機微を理解しようとしなければ、少なくとも東大=人生の勝者といった安易なイメージから逃れることを志向しなければ、人間を人間として捉える力は失われていく一方だろう。

わかりやすいSNSのフォロワー数やら反応の数を競う態度も、もっと極端なことを言えば、大谷翔平や藤井聡太のような人間を最高の成功者のモデルとして無反省に賞賛し消費する態度も、あまり良い傾向ではないと思う。

学歴狂の詩
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人々がそうした反射的とすら言える反応をひたすら繰り返した先には、ほとんどのものが固有性や複雑性を消去された「統計」として処理される世界が待っているのではないだろうか? もしかするとすでにそうなっているのかもしれないし、私もそれを知らず知らずのうちに歓迎してしまっている面もあるのかもしれない。

しかし個人的には、その流れに抵抗する態度のうちにこそ、人間の善さが立ち現れるのではないかと思っている。これまたお前が言えたことかという話だし、非常に難しいことでもあるが、ものごとを単純化しすぎる人類への警鐘として、文学というものが機能し続けてほしいと私は思っている。

佐川 恭一 小説家

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さがわ きょういち / Kyouichi Sagawa

1985年、滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業。

2011年、『終わりなき不在』で第3回日本文学館出版大賞ノベル部門を受賞。2019年、『踊る阿呆』で「第2回阿波しらさぎ文学賞」を受賞。

著書に『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』『ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言』『学歴狂の詩』などがある。

(著者似顔絵=凹沢みなみ)

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