京大文学部卒の小説家が20年前に経験した小さな町の"学歴競争"、 《「現役東大」合格のライバルはなぜ「1浪京大」に負けたと思ったのか》

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私は当然ながら中学時代に各校の過去問を解きまくったが、某R高とラ・サールで合格最低点を下回ったことはなかった。しかし、東大寺だけはたまに落ちることがあったのだ。当時の私は東大寺とそれ以外の高校に大きな差を感じており、また母親もそう考えていた。

東大寺受験の時に家から持っていって使った緑色のスリッパは、長らく「東大寺」の愛称で勝利を象徴する神として家に祀(まつ)られ、何か勝負事があるとスリッパに手を合わせるというアホみたいな状態になっていた。

私が「町一番」のタイトルを防衛した後、国崎くんは某R高の私と同じコースに入った。そこでは東大京大国公立医学部志望者以外は家畜以下の扱いなので、国崎くんもまあそのどれかを目指すのだろうとは思っていたが、爽やかスポーティイケメン(※想像です!)にあの偏差値のみが力となる異常監獄の苦しい3年間を乗り切れるか怪しいものだ、クゥクゥクゥ……!という、ほとんどお手並み拝見みたいな気持ちでいた。

ライバルの奮闘に拍手

それから時が流れ、私が大学4回生になって小説を書き始めた頃、私の母親が国崎くんの母親と平和堂(滋賀県で覇権を握るスーパーマーケット)で会って話を聞いたらしく、国崎くんは東大を受けるつもりだということがわかった。

私はまたも「フーン」と思っていた。大して気に留めず、小説や卒論を書きながら、周りの友人らと酒を飲みまくりつつ最後の1年を過ごした。おそらくあの年よりビールを飲んだ年はない。

そして私のモラトリアム期間も終焉を告げようとしていた3月の半ば頃、平和堂から帰ってきた母親が「恭一!」と私に呼びかけた。何かうめぇオヤツでも買ってきてくれたのかと思ったが、母親は真剣な顔で「国崎さんとこ、東大受かったんやて」と言った。私は驚きを隠せなかった。今年合格ということは現役合格である。

「へえ、東大のどこ?」

私は平静を装い、恐る恐る聞いた。

「文一やって」

「おお、すげーやん」

私はその瞬間、自分がついに「町一番」ではなくなってしまったことを悟った。私が狂気じみた勉強一本槍の生活でかろうじて達成した記録は、爽やかスポーティイケメン(※想像です)に見事塗り替えられてしまったのだ。

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