京大文学部卒の小説家が20年前に経験した小さな町の"学歴競争"、 《「現役東大」合格のライバルはなぜ「1浪京大」に負けたと思ったのか》

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現役東大文一となれば、もはやどうあがいてもこちらに勝ち目はない。国崎、お前がナンバーワンだ……! 私は町に新時代を作った若者に拍手を贈るような気持ちで、母親に「完全に負けたな」と言った。すると、母親は微笑みながら言った。

「でもな、国崎くんのお母さんに聞いたんやけど、国崎くんは恭一に勝ったと思ってないんやって」

「は? なんで?」

「やっぱり国崎くん、東大寺に落ちてるから。その時に感じた東大寺の難しさっていうのがすごい印象に残ってるらしいんよ。せやから東大寺に受かったあんたのことをずっと尊敬してるらしくて、東大には受かったけど、全然勝った感じはせえへんって言ってるらしいわ」

「いや、普通に勝ってるやろ」

「まあ、本人はそう思ってへんのやってさ」

変わってんなあ、と私が言い、それで国崎くんについての会話は終わった。だが、国崎くんはずっと私の幻影を追ってくれており、それを東大文一現役合格という最高の形で乗り越えてくれたのだと考えると、なんとなく胸に熱いものが湧き上がってくるのを感じた。

国崎、俺は1浪で京大だ、もちろんお前の勝ちだ、でも聞いてくれよ、俺は誰もが知る立派な一流企業に内定したんだ、だからもう少しだけお前の前を走れるかもしれない、4年後か6年後か知らないが、その時にもう一度俺を乗り越え、真の「町一番」になってみせろ……!

その後、私は当の会社を1年であっさりやめ、傍目にはゴミと区別のつかない「ありえない量の小説を書くが表に出るのはせいぜいその1%ぐらい」マンとなった(母親は近所の人たちに、私の現状を詳しくは語っていないらしい)。したがって、国崎くんはきっと自動的に私を乗り越えているだろう。

もうあれから15年以上、国崎くんがどうなったかという情報は私に入ってきていない。もしかすると母親が気を遣って知らせてこないだけかもしれない。

だが、私は神童の先輩として、神童と呼ばれる存在が長きにわたって晒されるプレッシャーの過酷さを知る者として──ただの一度も会ったことはないものの──心から国崎くんのことを応援しているのだ。

中学・高校受験の栄光と挫折はいつまでも

言うまでもないことだが、受験でもっとも重要なのは大学受験である。中学受験、高校受験で失敗しても、大学受験で取り戻せる。それが常識的な考え方だろう。

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