御上先生が「考えて」とよく口にする"深い意図" 「答えをすぐに教えない」ことで生徒が得る学び
かえつ有明高校社会科教員の前田圭介氏は、著書『思考実験入門』の中で、「最近の生徒は、『トロッコ問題』や『ギュゲスの指輪』のような、決まった答えがない思考実験に対して、深く考えて自分なりの答えを出すことが苦手になってきている」ということを指摘しています。
スマートフォンで検索したりChatGPTで聞けば、どんな問題でも簡単に答えが出るような現代において、子どもたちは「考える」よりも前に「他の人の答えを調べる」ことが習慣化されており、深く考えることができなくなってきているのではないか、という指摘ですね。
僕自身はこの指摘は正しいと思います。実際、思考実験のような答えのない問いに対して粘り強く考えることができなくなってきているのではないか、と。
そして、自分の進路を考えたりする時間も減っていると言えるのかもしれません。例えば、「先生、自分は文系に行こうか、理系に行こうか迷っているんです」と言われたとします。そして、先生としては、「この生徒は文系分野のほうが出来もいいし、文系を選んだほうがいいんじゃないか」と考えたとします。でも、そこで「文系にしておいたら?」と答えを教えて(ティーチングして)しまうと、その生徒は自分で考えずに進路を決めてしまうことになります。
流されて選択してしまう危険性
先生が言う進路選択は、客観的に見て正しい選択なのかもしれませんが、そんなふうに「他人が言うから」という理由で自分の人生を選択することが常態化してしまうと、自分の人生を生きることができなくなってしまい、ここぞという場面で自分で考えて選択することができなくなってしまいます。
流されて選択するだけで、「決める」ということができなくなってしまうのです。ですから、コーチングが必要なのです。自分で答えを出せるように、「君は文系と理系、どっちに行きたいと思っているの?」という指導が求められるわけです。
『御上先生』のティザー映像では、「君たちはもう子供じゃない。考えろ」という言葉が使われています。子どもなら、大人に判断を決めてもらうのが当たり前。でも、高校3年生はもう、子どもではない。自分で決めていく力を持つべきです。御上先生が口にする「考えろ」という言葉には、誰かの答えを教えてもらうのではなく、自分で答えを出すべきだ、という意味が込められているのかもしれませんね。
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