「酒の飲めない奴は三菱の重役になれない」の真相 三菱財閥ではどんな採用が行われていたのか

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(写真:EKAKI/PIXTA)
「学歴重視」の採用はいつ、どの会社で、どうやって始まったのでしょうか? 財閥作家として定評のある菊地浩之氏は新著『財閥と学閥』で膨大な史資料を通して、四大財閥に形成された学問の起源をひもときます。本稿は三菱財閥の採用について。

三菱財閥では各社によって学歴の隔たり?

1940年における三菱財閥主要会社の役員および幹部社員の学歴構成を集計(ダイヤモンド社編『ポケット会社職員録 昭和十六年版』、および興信録等より)すると、三菱商事には東京高商(現・一橋大)卒、三菱銀行で慶応義塾卒、三菱倉庫では東京高商卒以外の高商卒が、他の事例に比べて多いことが確認できる。

ではなぜ、三菱財閥では一括採用を行っているのに、各社によって学歴に偏りが出てきたのだろうか。そもそも三菱財閥の一括採用とはどのように実施されていたのだろうか。

最も参考になるのが、三菱商事社長・田部文一郎(1907~2002)の証言である。田部は広島県に生まれ、1930年に東京高商を卒業、三菱商事に入った。田部は在学中から東京高商広島県人会の世話役として財界人の間を飛び回っていたらしい。

世話役の私は、昔の三菱本館にあった三菱鉱業の会長室にしょっちゅう出入りして三谷(一二)さんと親しくなっていたので、いよいよ卒業というとき、『自分は貿易会社で働きたい。三菱商事に願書を出しますので、よろしくお願いします』と、頼みに行った。『鉱業なら、私がうんといえばすぐ決まるが、君は鉱業よりやっぱり商事の方が向いとるな、そうしたまえ』といわれた。(中略)

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