Nキャス「氷河期世代」特集が"笑顔"で炎上の背景 注目度が高い上に、燃焼性が高い社会問題

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要は、その人物の行動が適切であったかどうかという問題に矮小化されてしまうのだ。これをモンクは「懲罰的責任像」と呼んだ。さらに、自覚的な選択の帰結(選択運)には責任があり、自分で招いたわけではない外在的事情のために降りかかった帰結(自然運)には責任がないという現在主流の言説について、モンクは自明ではないとする。

その一例として病気を挙げる。仮に私がある稀ながんにかかった場合、自然運の不運のように思えるだろう。しかし別の視点から見れば、選択運の不運としても考えられる。なぜなら、がん治療に必要な費用をまかなう包括的な保険に加入しておくことだってできたはずだから。

だが、これが極めて稀な病気で、よほど徹底して検査しないと知ることさえできないものだとしたら? あるいは最近までこの種の出費が保険の適用外で、大半の人々がそのことを知らなかったら?――「自然運と選択運との線引きはきわめて難しい」と述べる(同前)。

「努力を強いられる」社会における「報われなさ」

つまるところ、このような責任の概念自体が現実の政策には馴染まないという結論になっているのだが、グローバルなパワーゲームの中で国家の能力が低下し、本質的な課題と向き合う余裕がないエリートたちは、なおのこと「選択と自己責任の大切さ」を強調したがり、就職氷河期世代をはじめとする「経済的被災者」について、「どこかで挽回のチャンスがあったはずだ。成功している人もたくさんいる」という見方に傾きやすい。

とりわけ成功者――過酷な試練にさらされなかった人々や賢くサバイブすることができた人々――とされる政治家や経営者の反応が鈍いのもこの点に尽きるといっていい。

とはいえ、世間は世間で「誰に分配されるか」に敏感になっていることも事実であり、生活保護の受給や住民税非課税世帯への給付などに対する反発には、分配の正義を求めるまっとうな主張だけでなく、先の「懲罰的責任像」が潜んでいることが多い。

今後、もし氷河期世代を対象にした何らかの給付が実現したとしよう。おそらく生活保護と同様に粗探しに陥る可能性は否定できないだろう。人々は、止まらない物価高にあおられるかのようにスケープゴート探しにまんまとのせられ、高齢者、移民、富裕層ETCと不満のはけ口を取っ替え引っ替えしている。「高齢者が悪い、外国人が悪い、金持ちが悪い」……責任の主体を全方位に向ける「懲罰的責任像」の拡散である。

その深層には、高度な能力主義とでたらめな報酬が同居するいびつな社会で、自らのポジションを脅かしかねない誘惑や衝動を抑制しながら、市場が求めるパフォーマンスを発揮しなければならず、さらなる労働の強化とスキルアップの重圧に耐え続けなければならない心理的な闘争がある。

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