近年、注目度が高い上に、燃焼性が高い社会問題であり、取り扱いには細心の注意が必要といえる。
国民民主党代表(役職停止中)の玉木雄一郎氏が1月に放送されたBSフジの番組で、今後特に取り組んでいきたい政策に就職氷河期世代の対策を挙げ、「政治が作り出した一つの世代。だから、政治が責任を取らないといけない」と明言したことは、この問題が持つポテンシャルをよく分かっているからにほかならない。
就職氷河期世代は、経済状況のしわ寄せとその後の政治の無策がいかに人の人生を狂わせ、取り返しがつかないものになるかについての生き証人であり、現在進行形の「地獄」を体現しているのである。
しかも、氷河期世代の悲劇は、いわゆる自己責任論の流行と不可分であり、その傷口を広げていった経緯があった。
政治学者のヤシャ・モンクは、自己責任が政治の舞台に上がるようになったのは比較的最近のことだという。1980年代のアメリカにおいて、当時の共和党が福祉国家批判の常套句として用い始め、民主党が追従した(『自己責任の時代 その先に構想する、支えあう福祉国家』那須耕介・栗村亜寿香訳、みすず書房)。
「自然運」と「選択運」との線引き
日本でもバブル崩壊後、自己責任の考え方が受け入れられ、2004年の「イラク日本人人質事件」で人口に膾炙した。一部の政治家やマスコミなどの扇動を受けて、「自業自得」といった反応が急速に広まっていった。
そうして「自己責任」は同年のユーキャン新語・流行語大賞のトップテンにランクインすることになる。
モンクは、「選択と自己責任の大切さに依拠する議論の大半は、ある詐術に頼っている」と指摘する(同前)。一般論では、人は自分の人生をコントロールし、自力で何事かを成し遂げようと努力すべきとの考え方は、当たり障りのないものに思えるが、この主張を特定の政策の文脈に落とし込むと、当たり障りがないどころの騒ぎでは済まなくなるのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら