スペイン「行列ができる和菓子店」オーナーの正体 YouTubeと本で日本食を学び、マドリードで起業

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

地元住民も認める「保守的」な土地柄で、当初、和菓子店の開業は無謀だと考えられていた。マドリードやバルセロナといった大都市とは違い、地方都市では新しい食材への抵抗感が強い。特に「甘い豆」であるあんこは、スペイン人の嗜好に合わないとされてきた。

近年、スペイン全土で日本食ブームが起きており、地元スーパーにも「DORAYAKI(どら焼き)」という名のパンケーキが並ぶようになった。ただしその中身はチョコレート。現地の好みに合わせたアレンジが施されている。

この「和菓子不毛の地」で、石原さんはどのように人々の心をつかんでいったのか。スペイン語で行われた取材を通して、その答えは石原さん自身の「物語」にあることがわかった。

日本の忘れられないお菓子

幼少期の石原さん(写真:Tombo)

1983年、兵庫県三田市。日本人の父とスペイン人の母のもとに生まれた石原さんは、10歳までをこの土地で過ごした。学校では「外人」と呼ばれていじめられ、遊ぶ相手はいつも2歳上の姉と、3歳下の弟だった。

家庭内では、厳格な父の存在に怯え、常にビクビクした日々を過ごしていた。量産されている市販のお菓子は禁止され、唯一認められていたのが大福やどら焼きなど銘菓と呼ばれる和菓子だった。甘いものに目がなかった石原さんの記憶に、忘れられないお菓子があるという。

「なんて名前だったかな。小さい頃、父が東京出張でよく買ってきていたお菓子があるんです。鳥のかたちをしている……あ、『ひよこ』です! あの生地と白あんの味が絶妙で、『こんなにおいしいものがあるんだ』と感動したのを覚えています」

小学5年生のある日、母親が学校へ迎えに来て、そのまま空港へ向かった。まさかその日が日本での最後の日になるとは知る由もなく……。それが家庭内暴力からの緊急避難だったとわかったのは、何日も後のことだ。その後、両親は離婚。3人きょうだいはスペインの祖母のもとで暮らすことになった。

スペイン・マドリードでの生活も決して平坦ではなかった。

「言葉も環境もすべてが突然変わり、スペイン文化に馴染むのに必死でした。いじめられないように、日本というルーツを『封印』することにしたんです」

それでも、お菓子作りだけは変わらず好きで、よく家で作って姉と弟と食べていたという。

次ページスペインに訪れた「日本ブーム」の波
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事