スペイン「行列ができる和菓子店」オーナーの正体 YouTubeと本で日本食を学び、マドリードで起業

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当時のオカシサンダは、週末には1日約200人が訪れ、5000ユーロ(約80万円)の売上を上げていた。しかし、従業員6人分の給与と6000ユーロ(約96万円)の家賃という重圧に追われ、心の余裕は失われていくばかり。

姉えりかさん(写真左)と石原さん(写真:Tombo)

2018年2月24日土曜の朝、忘れられない姉との会話がある。

「今日くらい一緒にごはん食べよう。少しだけ早く仕事を切り上げたら?」

石原さんの大好物であるパルメラ(チョコレートパイ)を用意しながら、姉はそう言った。リビングには風船が飾られ、プレゼントが置かれていた。その日は石原さんの誕生日だった。

「そんな時間あるわけないでしょ!」

石原さんは声を荒らげた。週末は稼ぎ時なのだ。誕生日どころではない。結局その日の仕事は、深夜0時まで続いた。帰宅すると、姉はすでに眠っており、部屋は暗く静まり返っていた。

その行動が、後にどれほどの後悔を生むことになるか、思いもよらずーー。

優先順位が変わる出来事

2018年10月17日、姉は帰らぬ人となった。末期の状態でマドリード滞在中に肺炎を患ったのである。

「見えていたものが」。石原さんは表情をこわばらせる。「すべて変わりました。優先順位も。私は何のために働いていたんだろう、と。ショックで……」

この出来事を機に、石原さんは13年間経営してきたオカシサンダの権利を譲渡することを決意する。当時のパートナーとの関係も終わりを告げ、マドリードを離れることを選んだ。

「苦しくて……」。石原さんは、目を閉じて答える。「とてもじゃないけど、マドリードにはいられなかった」。

その後の6年間、お菓子作りに専念した。バスク・クリナリー・センターで博士課程を修了し、その後、バルセロナの料理学校で本格的な技術を習得。グルテンフリーを掲げるレストランでレシピの開発を手伝い、「有名」なレストランの門を次々に叩いては、経験を積んでいった。

次ページ何も考えられないほど働いた
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