芸人・天津木村が岩手で広げた"新境地"の充実感 「覚悟を決めて一歩踏み出せば、人生何とかなる」

「週1番組のために移住?」周囲の声と"都落ち"感
前編で書いたように、ヒロミさんから覚悟を問われ、岩手に移住する決意を固めた木村さん。当時、2人の娘は小学生。転校させるのは忍びないと妻に単身赴任を申し出たところ、妻は「一緒にいるのが家族でしょう」と家族での移住を提案。こうして一家で新天地へ移り住むことが決まった。
一方、テレビ関係者や芸人仲間の中には、「週1の番組のために地方に引っ越すなんて、木村はおかしくなったのか?」「半年先の保証もないのに、移住するなんてどうかしてる」と噂する人もいた。そんな話も木村さんの耳に入ってきたが、気持ちは揺らがなかった。
ただ1回だけ、"都落ち"という言葉が脳裏をよぎったこともあったという。それは、引っ越しのため車で盛岡に向かっていた時のこと。「二度泣き橋」の別名で知られる盛岡の開運橋を通った時、不意に頬を涙が伝った。
かつては盛岡への赴任を命じられた人たちが、1度目は僻地に異動させられた悔しさから泣き、2度目は転属を命じられて、名残惜しさから泣いたという逸話から付けられた名だ。
「ここを通った時、東京で同じ志を持って切磋琢磨してきた仲間たちの顔が思い浮かび、『僕は東京であかんかった(成功しなかった)から岩手に来たんだ。そこに家族も巻き込んでしまったんだ』と感じ、思わず泣けてきました」
しかし「あいつら(芸人仲間)に胸張って『俺は岩手でやれてるんやで』って言えるようになろう」と気持ちを切り替え、心機一転、岩手での番組制作現場に飛び込んだ。
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