「自助」は自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康を維持することです。簡単にいえば、自分の問題は自分の責任で対処する、ということです。
「共助」は年金や健康保険、介護保険、雇用保険などの社会保険です。保険ですから、受益者が直接のコスト負担者となります。つまり、保険料を払わない人は給付を受けられません。
「公助」は生活保護のような社会的弱者への生活保障です。保険料ではなく、税金が財源となっています。必要な状況になれば、誰でも給付を受けることのできるセーフティネットです。
どうして「高福祉・中負担」が続けられるのか
日本の社会保険が現在のように充実した制度となったのは、そう昔のことではありません。年金や医療保険が「皆年金」あるいは「皆保険」として、国民すべてが加入する制度となったのは1961年です(なお、介護保険が導入されたのは2000年に入ってからです)。
しかしわずか50年を経て、深刻な保険財政の悪化、「消えた年金」問題に象徴されるずさんな運営などから、社会保険制度は国民の信頼を得るにはほど遠いものとなってしまいました。それでも、制度として何とか持ちこたえているのは、絶えず国庫から巨額な税金が投入されているからです。これが「保険料負担は少なく、給付は手厚く」といわれる日本の社会保険の「高福祉・中負担」マジックの「種明かし」です。
たとえば健康保険制度は、高齢者数の増加に伴い恒常的に赤字となっています。そこで必要財源の約4割が毎年国民の税金で補われています。大ざっぱに言えば、100円の医療費は患者の自己負担が10円、健康保険から54円が支払われ、そして不足分の36円は税金で穴埋めされているのです。
年金保険や介護保険も、同じように多額の国庫負担に支えられて運営されています。これほど税金が投入されていながら、なぜ社会「保険」と呼べるのか、という素朴な疑問もありますが、この傾向は日本に限らずどこの先進諸国にも見られるものです。つまりどこの国も、社会保険制度は「共助」でありながら、財源的には「公助」に近いものになりつつあります。
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