御上先生問う「ディベート」日本で根付かない背景 日本人は議論が苦手?なかなか浸透しない理由

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アクティブラーニングも同様です。そもそも学びとはアクティブであるべきだし、学習者が主体であるべきですからね。これらの概念は、取り入れられたほうがいい大切な概念です。

しかし、多くの教育現場ではそう扱われてはいません。必要だからやっているのではなく、『今流行りだから』という理由でやっています。

『なんのためにやっているの?』と聞いたときに答えられない、『なんのために』が抜け落ちて、そうした流行りを実践しているというアピールができることに主眼が置かれてしまっている場合があまりに多い。手段が目的化してしまっているわけです。

――『ディベート』も同様だということですね?


ディベートも、一時期ブームになって、ディベートを取り入れた授業が多くの学校で広まった時期がありました。でも、その多くで手段が目的化してしまっている教育実践だったように感じます。

話し合いをさせてみただけで『ディベート』だと言っている、という学校現場も多かったです。これって、おしゃべりと何が違うんですか?というものも多かったんですよね。

ディベートとディスカッションは違う

――おしゃべりするだけでは、ディベートではないですもんね。

そう、まさにそのとおりです。例えば、類似したものとして挙げられるディベートとディスカッションは、本来は明確に区別されたものです。

ディベートとは、決められたテーマに対して、『賛成側』『反対側』の役割にあえてわかれて批判的に意見を交わすことです。

一方で、ディスカッションは自由に意見を出し合いながら合意形成をしたり、創造的なアイデアを出したりすることが主眼となるため、賛成も反対もありません。私は、この2つの概念を区別して教育実践に取り入れられていた人たちが、果たしてどれくらいいたのか、と考えてしまいます。

――一過性のブームとしてではなく、しっかりと理解した上で教育実践活動が行われるようになるべきだ、ということですね。

そうですね。今回のドラマでも1つのテーマになっているように、今現在の学校教育には、矛盾する部分や時代遅れになってしまっている部分が多いと思います。それは、教育を提供している側も、『自分が受けた教育』をモデルケースとしてしまうからです。

本当に必要なのは、『自分が受けた教育を断ち切る教育実践』だと思います。今回のドラマが、そのきっかけの1つになればと思いますね。

西岡 壱誠 現役東大生・ドラゴン桜2編集担当

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にしおか いっせい / Issei Nishioka

1996年生まれ。偏差値35から東大を目指すも、現役・一浪と、2年連続で不合格。崖っぷちの状況で開発した「独学術」で偏差値70、東大模試で全国4位になり、東大合格を果たす。

そのノウハウを全国の学生や学校の教師たちに伝えるため、2020年に株式会社カルペ・ディエムを設立。全国の高校で高校生に思考法・勉強法を教えているほか、教師には指導法のコンサルティングを行っている。また、YouTubeチャンネル「スマホ学園」を運営、約1万人の登録者に勉強の楽しさを伝えている。

著書『東大読書』『東大作文』『東大思考』『東大独学』(いずれも東洋経済新報社)はシリーズ累計40万部のベストセラーになった。

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