斜陽メディアじゃない?「ラジオ」20代に人気の訳 オールナイトニッポン統括Pが語る復活の理由
当時の僕は、平日は取材や編集に飛び回って忙しく、なかなかラジオを聴く余裕がなかったのですが、週末には時々ラジオを聴けたのです。たまたま聴けたその夜も、ひとりの男の子が義家先生と電話をつないで悩みを打ち明けていました。
「いじめられて、もう学校に行きたくないんです」という相談に対して、僕はてっきり義家先生は優しく寄り添いの言葉をかけるものかと思っていました。ところが、義家先生はまったく逆の反応で、「何言っているんだ! 負けんなよ!」と熱っぽく説教を始めたのです。
叱るだけにとどまらず、60分ほどじっくりとその子と真剣に向き合って言葉を交わすやりとりが続きました。そして番組の最後に、相談を寄せてきた男の子が「ずっと死のうと思っていたけれど、義家先生の声を聴いて、死ぬのをやめようと思いました」と。
僕は衝撃でしばらく動けなくなってしまいました。
テレビであまねく多くの人たちにいじめの問題を訴えることも大切です。でも、こうやって目の前でひとりを救えるメディアもある――それがラジオだ。
どちらが優れているということではありませんが、自分はどっちを作りたいのかと自問自答した結果、導き出した答えは「ラジオ」でした。
「聴く側」から「作る側」へ
その答えが見つかってから、いてもたってもいられず、ニッポン放送の中途採用に応募したという経緯です。
あのとき、義家先生がひとりの子どもの人生に全身全霊で向き合う姿に、僕だけでなく多くのリスナーがリアルタイムに立ち会っていました。
その息づかいをすぐ近くに感じながら、まるで同じ空間にいるかのような気持ちで見守っていたのではないかと思います。
そんな体験ができるのは、やはり「生放送」だから。それも、パーソナリティの声をすぐ近くで感じられる「ラジオの生放送」だからなのだと僕は思います。
どんなに苦境でも生放送にこだわりたかった原点はここにある気がします。
ニッポン放送に入社して最初に研修としてADについた番組は、なんと義家先生の番組でした。偶然というより、面接で僕の入社動機を知った番組プロデューサーの粋な計らいによるものでしたが、必死に仕事を覚えながら、「聴く側」から「作る側」へ移った感慨をかみしめていました。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら