日曜劇場「御上先生」が近年一番の傑作になる予兆 衝撃的だった初回を経て、今後注目すべきポイント
御上先生は、神崎の記事を、確認も取材もしないゴシップ記事と同じと言い、ちゃんと取材して独自の記事を書くべきだと言う。今こそ、自分にちゃんと取材できるチャンスであると神崎に持ちかけ、神崎はスマホの録音アプリを立ち上げて取材をはじめる。
教室で生徒たちが見守る中で、生徒が教師に取材をするのだ。
この場面に付随して御上が語るセリフが冒頭に引用した「そんな簡単に見えるものを闇とは呼ばない」「言ったよね、ほんとうの闇を見たければ僕を手放すな」である。
神崎は、官僚の天下りと関わった者が尻尾切り(左遷)されたことを「闇」と思っていたが、御上は「闇」とはそんなものじゃなく、もっともっと深いものだと示唆する。
官僚の深い闇を、御上は内部に入ることで変えたいと考え、そのためには、官僚の仕草を身につけることも厭わない。はたして、自らも泥にまみれ、それでも染まらず信念を貫き通すことができるのか。
朱に交われば赤くなるのが人の常。でもそうならない、それが神に選ばれたエリートなのではないか。御上は、生徒たちをそんな者に育てようとしているのか。
「殺人事件」や「不倫事件」がどう絡んでくるのか
極めてスリリングな展開なのだが、『御上先生』の驚く点は、そこに冒頭の殺人事件が絡んでくることだ。いや、それだけではない、神崎が暴いた教師の不倫事件も無関係ではないと御上は言う。
殺人事件と御上の不正疑惑と隣徳学院と文科省がすべてつながっているかもしれないと、「バタフライエフェクト」を例にして暗示することで、ドラマ上、御上が神崎にその謎を解くように持ちかけているのと同時に、作り手がこれだけの要素をきっちりキレイに1つにまとめ上げてお見せしますという決意表明でもあるだろう。お手並み拝見である。
筆者はドラマを見て久々にゾクゾクしてきた。数学や化学の方程式のように理路整然として完成度の高いものは美しく心を打つのである。
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