「60歳で教師」になった女性が2年間で得た気付き 教師に憧れながら企業就職、からの伏線回収
取材を通じてさまざまなアスリートと親交を深め、キャリア相談などに乗っていた経験が買われ、今度は「JOC(日本オリンピック委員会)キャリアアカデミー」の立ち上げメンバーとして声がかかった。
トップアスリートの就職サポートから引退したアスリートのキャリア相談、社会性を学ぶ研修の企画やキャリアガイドブックの編集まで、それまでの経験をフルに生かしてアスリートの支援に尽力した。
JOC在職中に関わった選手の数は、883人。「相談に乗る立場になったことで、よりアスリートとの距離が近くなり、さまざまな悩みを本音で話してくれるようになりました」。
56歳で新たな会社を設立したが…
JOCでは支援できる範囲が限定的であったことから、56歳で退社。東京オリンピック前で、企業もアスリートやスポーツに対しての興味が高かった時流に乗って、自ら企業と選手をつなげていこうと、2017年にキャリア支援会社を設立した。多く企業とアドバイザー契約を結びアスリート社員の採用をするなど順風満帆かに見えた。
しかし、コロナ禍を機に状況が一変。東京オリンピックが延期となり、スポーツ関係の仕事がことごとく中断、ついにはほぼゼロに。さらに、母親の認知症が進行し、2021年7月、オリンピック直前に亡くなった。
それから8か月が過ぎ、相続関係の手続きが一段落したときに、小川さんは還暦を迎えた。「東京オリンピックも終わり、両親も見送り、やりたい仕事はすべてやりきった。友人たちも定年を迎え、私もいわゆる余生、老後が始まるのかな」と、ぼんやりと考えていたという。
そんなときに、大学時代の友人から「勤務している小学校で教員が足りなくて困っているから手伝ってくれないか」と声をかけられた。教員不足が深刻化していたこともあってか、2022年の7月に更新制が廃止され免許が復活していたこともあり、中学生時代の夢が再燃した。
現在は、教師という仕事に手応えを感じる一方で、複数の学校で働くうちに、現在の教育現場や時間講師が置かれている状況を冷静に見られるようにもなってきた。
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