立川談志「殺しはしませんから」弟子の親に説く訳 「伝説の落語家に弟子入り」とはこういうことだ

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要するに「一般社会の上司・部下」が「対称性のあるコミュニケーションが前提」だとすれば、徒弟制度における「師匠と弟子」とは、あくまでも「非対称な関係」だからなのです。

師匠の怒りは当然です。

「死ぬほど憧れた俺と一緒という、最高の空間と時間を与えているはずなのに、居眠りするとは言語道断だ」という師匠の理屈に対して、弟子は「心底詫びてなんとか許しを得る」しかないのです。

対称性が基本の間柄でしたらば、年数の違いはあれ、どこまでもフィフティ・フィフティでしょうが、徒弟制度での「持たざるもの=前座」はただひたすら非対称性の中に置かれ、師匠の機嫌を保ち、快適にするしかないのです。それが前座の仕事なのです。

つまり、以上のような非対称性を芸においてクリアし、対称性の関係に改善することを称して「修業」と呼ぶのであり、それが師匠と弟子との間で無条件に成立および共有されている感覚こそが、「徒弟制度」の大前提なのです。

弟子入り、徒弟制度などこれらの込み入ったややこしい概念を談志は、「俺はお前にここにいてくれと頼んだわけではない」という一言で言ってのけたものでした。

落語界の「徒弟制度」で培った気づかいの本質

通常の前座期間の2倍以上かかってしまった不器用な私は、いつも談志に言われていた言葉でした。「惚れた弱み」を一方的に抱かざるをえなかったのが弟子の辛いところでもありました。

要するに、徒弟制度とは、一般社会とはまったく異なる「気づかい」が徹底されているコミュニティなのです。

だからこそ、かようなコミュニティで生き抜くための「気づかいの本質」に気づけば、一般社会においても、ものすごいアドバンテージになるのではないか。それこそが、『狂気の気づかい』という本を書くにあたってのいちばんの動機でした。

談志は、壮年期の元気がいい頃、口癖のように「狂気と冒険と」と言っていました。すべてを変えるのは、「狂気」からです。

立川 談慶 落語家・立川流真打

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たてかわ だんけい / Dankei Tatekawa

1965年、長野県上田市生まれ。慶應義塾大学を卒業後、株式会社ワコールで3年間の勤務を経て、1991年に立川談志の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。

数々の「しくじり」から、他の流派なら4年ほどで終えられる前座という修行期間を9年半過ごす。二つ目昇進を弟弟子に抜かれるのも、当時異例の出来事だった。

2000年、やっと叶った二つ目昇進を機に、談志により「立川談慶」と命名。2005年、真打ちに昇進。慶應義塾大学卒で初めての真打となる。

著書に『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)、『落語で資本論』『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』(以上、日本実業出版社)、『古典落語 面白キャラの味わい方』(有隣堂出版部)、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP文庫)、小説家デビュー作となった『花は咲けども噺せども 神様がくれた高座』(PHP文芸文庫)など、多数の“本書く派"。

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