立川談志「殺しはしませんから」弟子の親に説く訳 「伝説の落語家に弟子入り」とはこういうことだ
談志が健在の頃、入門する際、「まずは両親を連れて来る」というのが鉄則でした。
「親を見ればどんな奴かわかる」というのと同時に、いま思えば「しばらくは食えないから、ある程度面倒見てあげてよね」という、談志からのメッセージでもありました。
いまから30年以上前に弟子入りした私ですが、これらの特別な状況を端的に説明するセリフを談志は用いました。
それが「殺しはしませんから」です。
昭和6年の満州事変の翌日生まれの苦労人の父親は、この一言で、一発で談志を信じ切ってしまったとよく述懐していたものでした。
「殺しはしない」、つまり、「生殺与奪の権利は師匠側にあるが、最低限の生命は保証する」という高らかなる宣言だったからです。
その日以降、私と談志との関係は、大学時代に談志の落語に接して以来の「ファンと落語家」の関係から「弟子と師匠」との関係へと切り替わりました。
「徒弟制度」がもつ意味
ここからが落語界の特殊性にもつながるのですが、たとえば漫才やコントならば、サンドウィッチマンさんの大ファンだからといって、弟子になって同じ漫才をやるという選択肢はないはずでしょう(ありえません)。
漫才が「型を壊す」ことで進化してゆくものならば、落語は「型を踏襲する」ことで命脈を保ってゆくものです。両者は同じ「笑い」でも、枝分かれしてゆく宿命のものなのです。
無論、以前は漫才にも形がありました。形を否定してブレークした島田紳助さんあたりを起点として、さらにはダウンタウンさんへという流れの中で、従来型の徒弟制度を捨て去って、養成所へと切り替わってゆきました。養成所システムの一般化は「徒弟制度」の否定につながっていったのです。
つまり「弟子入り」とは、「形や型を踏襲するために編み出されたシステム」なのです。師匠が持つ「カタチ」に惚れこんだ弟子が、そのフォルムを身につけようとして飛び込んでゆく」のが、「弟子入り」のダイナミズムです。
そしてそこには、一般企業のような「労働力の対価」としての報酬はありません。
いや、ないのが当然なのです。弟子は師匠にとって、利潤を発生させる労働者などではないのですから。
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