「花山法皇の娘」のあまりに"壮絶すぎる最期" 恋愛に奔放だった法皇は母子と関係を持つが…
紫式部の日記にも、1008年の大晦日に一条天皇の仮御所(一条院)に盗賊が乱入したことが記されています。このときは殺人事件に発展することはありませんでしたが、盗賊たちは女房2人の衣装を剥ぎ取るという行為に及んでいます。
また、平安時代末に成立した説話集『今昔物語集』にも、強盗・盗賊に関する以下の話(巻第29第8)が記載されています。
下野守・藤原為元の邸(三条大路の南、西洞院大路の西)に、これまた12月の末に、強盗が入ります。
邸の者が騒いだお陰もあり、強盗はほとんど何も取らず、ただ身分の高そうな女性だけを邸から連れ去ったのでした。
女性を馬に乗せ、三条大路を西に逃げる盗賊。大宮大路の辻に来たとき、盗賊はこの女性の衣装を剥ぎ取り、そのままどこかに逃走してしまいます。女性がいては逃げるに足手まといと思い、売れそうな衣装だけ奪っていったのでしょう。
全裸にされた女性は、あろうことか、大宮川に落ちてしまいます。氷が張る冬の川。寒風も吹きすさびます。何とか川から這い上がる女性。民家に行き、門を叩きますが、真夜中でもあり、怖がっているのか、誰もなかに入れてくれません。女性はとうとう、凍死してしまい、遺体は犬に喰われるという悲惨な状態になってしまったのでした。
犯人は誰だったのか
その場にあったのは、黒く長い毛髪と、血に塗れた頭部、紅色の袴だけだったといいます。この女性と「皇女」(花山法皇が中務に産ませた娘)を同一視する見解もあります。
直後に、盗人を捕らえた者には恩賞を与えるとの宣旨(天皇の命を伝える文書)が出たそうです。この事件の容疑者として浮かび上がったのは「荒三位」という人物。つまり、藤原道雅(道長の兄・道隆の孫)です。
彼は素行の悪い貴公子でした。『今昔物語集』によると、荒三位は、姫君(犬に喰われた女性)に想いを寄せますが、聞き入れてもらえなかったため、事件を起こしたのではないかとの噂があったとのこと。
同書では検非違使による捜索の結果、1人の男が捕まり、犯行を自白したことが記されています。一方、『小右記』では、隆範という僧侶が検非違使に逮捕されました。
隆範が言うには、犯人は1人ではなく、複数犯。しかし、隆範はなかなか口を割らず、尋問は難航します。そしてついに、隆範は驚くべきことを口にします。皇女の殺害は、藤原道雅の意向があったというのです。
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