そして、メディアでの誤用が多くてあきれるが、学習者を、中等教育(中学、高校)では「生徒」とし、高等教育(大学、短大、高専等)では「学生」とする。いま一度「生徒」と「学生」の違いを考えてもらいたい。そこには学び方、学ぶ姿勢に大きな違いがあるのだ。
AI時代だからこそ求められる学生像
時代の変化が激しい現代において、求められる能力は基礎学力、つまり自ら考える力であり幅広い教養である。特に生成AIが発達するにあたって、検証能力が問われる。
それに何を生成AIに求めるかにおいては、主体的に振る舞わないといけない。問いを立てる際は、基礎的な教養がしっかりしているかどうかによって生成AIの回答の深みや確からしさに影響が出てくる。検証能力に関しても、何をどのように検証するかを判断できるかどうかは、つねに幅広い教養があってこそである。
これからの時代に大学が担う教育は、AIに使われる人材を養成するのではなく、AIを使う人材の養成だ。
一方で、選抜性の高い大学においても、なにをどのように審査されているのかがわかりにくいのは確かだ。アドミッションポリシー(学生受け入れ方針)を読んでも抽象的でなにをどのように審査されるかを読み解くことは難儀だ。
そのような中、関西大学は総合型選抜(関西大学では「AO入試」と呼称)の受験生に向けて、総合型選抜ではどのような準備をしたらいいかを記載した冊子を作っている。アドミッションポリシーの具体化だ。学部によって審査の方法は異なるが、それぞれの学部でなにを受験生に求めているかを述べている。
ここに書かれていることは関西大学に限ったことではない。多くの大学でも求めるような汎用的な観点であるから、ぜひ参考にしてもらいたい。
次回は、総合型選抜のあるべき姿や大学教育、そして「探究」との関係を説いていく。
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