北九州・暴力団本部跡地に福祉施設が建つ意義 社会から排除される人を出さない「まち」作り

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工藤会の勢力は2008年のピーク時の1210人から2023年の240人と8割減した。その間、殺人罪などが問われている工藤会トップとナンバー2が逮捕され、いまだ裁判で争っている。ナンバー2である会長は裁判で、「工藤会をなくすつもりはありません」「こういう世界じゃないと生きられない人間もいる」と語ったという。

こうした会長の発言に対して奥田さんは、「だからこそ居場所のない人たちのためにまちを作りたい」と言葉を強めた。

社会から排除される人を出さないために、奥田さんは新たなまち作りにおいて「弱目的性」という言葉を重視している。「弱目的性」という言葉を作った歴史学者の藤原辰史さんは、著書『縁食論』でその意味を「目的を敢えて強く設定せず、やんわりと複数の目的に目配りしながら大きく広く構えてみる」と説明している。

集団が一つの強い目的を持ち、結集していくとき、その目的に合わないものを排除する力が働く。それは暴力団だけでなく、社会の側にもあることだ。一方、排除された者は恥辱や敵意の感情を抱える。恥辱は時に他者への暴力になり、敵意は排除された者同士を結びつける力になる。あるいは、自分の弱さや本心を他者から隠すようになる。弱みを見せて助けを求めることが難しくなる。

福祉施設建設に反対の声はなかった

抱樸がこの暴力団事務所の跡地を買い上げて福祉施設を立ち上げるというニュースが流れたとき、地元はセンセーショナルに受け止めたという。

「これまで福祉施設を作るというと、必ずといっていいほど地元住民の反対にあってきました。それは抱樸だけでなく、日本全国どこでも同じです。でも希望のまちに関してはどこからも反対は出ませんでした」(奥田さん)

反対意見が出なかったのは、暴力団の本部があったことで地域の人々の苦労が大きかったということを物語る。

それでは、新たに誕生する希望のまちでは、人が排除されたり別の形で暴力が生まれたりすることはないのだろうか。

「そのためには出会いの質より量が大切なんです。『たった一人のお父さん』ではなく50人のお父さんと50人のお母さんがいていいんです」と奥田さんは言う。

考えてみると、暴力団は、組長から幹部、平成員、準成員までの序列があり、家父長制を模した絶対的な服従性と、擬似的血縁関係、擬似家族として結束している。DVや児童虐待など家族内で暴力が生まれるのは、家族同士で関係性が凝り固まり、視野狭窄に陥るときであることが知られている。これに対し希望のまちは、出入り自由の緩やかに広がる別の形の「家族」を目指している。

福祉を受ける者はしばしば社会から差別をされる。差別が生まれるのは、共同体の側に「強さ」を求める価値規範・序列がある時だ。差別するものと差別されるものとの間に分断が深まる。奥田さんは誰もが「助けて」と言えるまちを作るという。昨日は助けてもらう側だった人が、今日は助ける側に回る。そんなまちでは誰もが対等であり平等だ。「人は誰もが『弱さ』を持つという意味での平等なんです」(奥田さん)。希望のまちは分断を超える手段でもあるのだ。

杉山 春 ルポライター

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すぎやま はる / Haru Sugiyama

1958年生まれ。雑誌記者を経て、フリーのルポライター。著書に、小学館ノンフィクション大賞を受賞した『ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館、2007年)、『移民環流―南米から帰ってくる日系人たち』(新潮社、2008年)『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書、2013年)『家族幻想―「ひきこもり」から問う』(ちくま新書、2016年)など。

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