しかし、1970年代の排ガス規制の影響で失速。そこへ、日産フェアレディZ(S30)が登場し、コスパとデザインの良さで一気にシェアを伸ばした。
一方、イタリアではカロッツェリアと呼ばれる、自動車のデザインと少量生産を大手メーカーから請け負う企業が、ランボルギーニ「カウンタック」など前衛的デザインのさまざまなスポーティカーを世に送り出す。こうしたクルマを日本では、漫画作品の影響もあり「スーパーカー」と呼んだ。
1980年代になると、トヨタ「ソアラ」に代表されるような高級志向の2ドア車が登場し、これが「スペシャリティカー」と呼ばれるようになる。当時、静岡県内で実施された初代ソアラの報道陣向け試乗会に参加したが、デジタル表示を駆使したインテリアの斬新さに驚いたものだ。
チューニングカーというカルチャーを経て
同じころ、チューニングカーブームが起こる。ターボチャージャーを後付けすることでエンジン性能を引き上げたりサスペンションを改良したりしたほか、派手なボディパーツ(エアロパーツ)の装着も目立った。
しかし、違法改造車も多く、警察当局が法規制や取り締まり強化。過度なチューニングカーは日本の街中から姿を消し、チューニング関連ショップや部品メーカーの一部がアメリカへ進出する。
このトレンドが、2001年公開の映画『The Fast and the Furious(邦題:ワイルドスピード)』へと、つながるのだ。
とはいえ、アメリカ当局も黙ってはいない。チューニングカーに対する厳しい対応をしたことで、アメリカでの日系チューニングカーブームも、あっという間に収束してしまう。
そうした経緯を当時、筆者はアメリカで詳しくみてきた。ワイルドスピード・シリーズでは、その後、当初の日系チューニングカー・ドキュメンタリーといったタッチから、アメ車主体の空想バトル物へとシフトしていく。
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