日本史の偉人「意外と二面性ある」驚きのトップ3 戦国時代や幕末の偉人も、どんな二面性?
しかし、その一方で、氏治は城が奪われるたびに、奪還に動いて、取りもどすことに成功。最弱にもかかわらず、滅びることがなかったため、こう呼ばれた。
「常陸(ひたち)の不死鳥」
その戦の強さから「軍神」と恐れられた上杉謙信を相手にしたときさえも、大敗して小田城を奪われながら、のちに上杉軍がいない間に、ちゃっかり奪還に成功している。弱いのか、強いのか、よくわからん。
2位:絶好調なのにいきなり出家しようとする困ったさん足利尊氏
鎌倉幕府を打倒した足利尊氏は、情緒不安定なところがあり、周囲を戸惑わせることがたびたびあった。
足利尊氏は後醍醐天皇を比叡山に追いやり、京都を支配。光明天皇を擁立している。室町幕府を開き、順調そのもののように思えたが、本人としては行き詰まりを感じていたらしい。尊氏は清水寺にこんなお願いことをしている。
「この世ははかない夢のようなもの。どうか私に信仰心を授けて、後生をお救いください。私は一刻も早く、この俗世から逃れて仏門に帰依したいのです」
このとき尊氏はまだ32歳。出家するには早すぎるが、天皇に背いたことへの後悔もあったようだ。これからが大切という時期に、自分は出家して「政務は弟にすべて任せる」と言い出したのだから、周囲が慌てたことはいうまでもない。
結局、弟の直義を始め多くの人々に反対されて、尊氏は仏門に入るのを断念。その2年後に、尊氏は征夷大将軍に任じられ、京都に室町幕府を設けた。
戦にめっぽう強く勢いに乗るとだれも止められないが、いきなり自信をなくしては出家を口にする……。そんなわかりづらさが、尊氏がイマイチ評価されにくい理由かもしれない。
沖田総司は明るい性格と言われているが…
1位:沖田総司は農民相手にも容赦なきスパルタ
キワモノぞろいの新選組のなかでも、剣の達人だったのが、沖田総司だ。その腕前は、局長の近藤勇、副長の土方歳三をも凌ぐと言われていた。
総司は明るい性格だったらしい。 著者が子孫への取材など長年の実地調査を基にして書いたノンフィクション 『新選組始末記』(子母澤寛著)では、次のような記述がある。
「朗らかでよく冗談を言い、周囲の者を笑わせていた」
新選組の屯所での稽古についても、新選組の池田七三郎が「沖田氏は冗談ばかり言ってにぎやかな剣でした」と振り返っていることからも、ピリピリした雰囲気は感じられない。
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