「人生の後半」を楽に過ごすために手放すもの3つ 習慣を捨てることで発見できるものもある

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仏教には、"煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)"という言葉があります。煩悩とは心を乱す考えのことです。心の乱れがあるからこそ、その乱れを解消して心おだやかになれる方法が見つかるというのです(菩提=悟り)。

家事を嫌だと思えば心が乱れます。まずは、ただ顔をしかめ、嫌だ、面倒だと愚痴を言っている状態から、一歩道を踏み出してみましょう。その道とは、「私はどうして家事が嫌なのだろう」と考えることです。

「自分ばかりやっているのが納得できない」

「家事のせいで自分の時間をほとんど取れない」

「家事そのものが面倒」

このように、自分が何を嫌がり、心が乱れているのかを考えてみれば、おのずと理由が見つかるはずです。自分ばかりやっているのが悔しいのなら、家族会議を開き、家事の分担について意見を出しあってみるといいかもしれません。自分の時間が取れないなら、同時に2つのことをやったりして、効率性をアップさせる手もあります(私は、洗濯物を干すときにベランダを掃除します)。家事そのものが面倒なら、どこかで手を抜いてしまいましょう。

物事を上手におさめる方法を聞かれたある識者は、「重箱に詰められたみそを、丸いしゃもじですくうようにすればいい」と答えたといいます。四隅のみそは残りますが、隅をつつくような完璧さを求めないほうがいいというのです。

掃除、洗濯、料理、その他の名もない家事は、あなたが「やって気持ちがいい」と思えるもの以外は手を抜いて、とりあえず、心の負担を軽くする。どんなことでも、やってみないとわからないことがあります。家事を手抜きしてみたら、100点を目指さなくても問題ないことがわかるでしょう。

私の場合は、「家事は面倒なもの」と割りきっています。そのうえで、「面倒でもやらなくてはいけないことがある」と覚悟を決め、楽しむようにしています。私にとって、風呂掃除は水遊びの延長です。掃除は汚れていたり、散らかっていたりする場所を見つける宝探しですし、料理は素材や調味料の化学反応を実験するようなものです。人生には、楽でなくても楽しめることがありますが、家事もその1つかもしれません。

(出所:『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』より/イラスト:風間勇人)

※外部配信先ではイラストを全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください

人生後半は、10円、100円単位で眉間にシワをよせない

昭和の時代は、婦人雑誌の付録に家計簿がついていました。その使い勝手のよさから、家計簿のために雑誌を買った人もいるでしょう。

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