「いつかは地元へ」香川を愛する25歳の東京ぐらし 困難な未来でも家業を継ぐことに迷いはなく

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海野さんが家族のためにデザインしたTシャツ
海野さんが家族のためにデザインしたTシャツ。Uは海野の頭文字、FAMは家族の意(撮影:今井康一)

加えて、海野さんは地元で会社を営む生活自体にも、愛着があるという。

「両親共働きだったので、僕も学校が終われば会社に行って、従業員さんやお客様にとてもかわいがってもらいました。ずっと会社と一緒に育ってきたところがあり、いつか自分の得た経験や知識を会社に還元したいと感じるようになりましたね。

休日には必ずといえるほど、制服を卸しているお客様のお店を巡って、家族で外食する。そういう地元に根差したやり取りも、子ども心に温かく感じて、大好きでした」

メガネ
ファッションアイテムとしての眼鏡は父親と共有。「似合わなかったものを僕にくれるんです」(撮影:今井康一)

四国の人口減のことを考えれば、これまでと違うビジネスを模索する必要があることは認識している。しかし一方で、地元密着で商売してきたからこそ守りたいつながりもある。歴史に裏打ちされた信頼関係があることは、代々その地で商売を行っているものの強みだ。

「実際には父親の立場なら、商売上で頭を抱えたくなることだってあるはずです。でもそういった困難もまるごと、自分が引き継いでいこうと思っています。『両親が助けてくれるならきっと大丈夫』という信頼感があるので、それほど不安はないですね」

東京では生涯続く人脈ができた

東京生活も満喫しているように見える海野さんだが、未練はないのだろうか。

「東京では大学院でも仕事でも、すごく良いつながりができました。特に大学院では同級生に経営者や役職のある方々もいて、若造の僕はずいぶんとかわいがってもらったんです。アドバイスをもらったり、自分では行けないような店にも連れていってもらったり。このつながりは、僕が香川に戻ったとしても途切れるものではないでしょう。

僕の父も、祖父も、ちょくちょく東京に赴いて大学の友達と会っていました。だから地元で働いて東京で集うスタイルが、僕にはちょうど良く思えます」

大人になれば友人と毎週のように会うことはままならないものだ。距離を乗り越えるフットワークの軽さは必要だが、住まいが地方でも友情をつなぐのに、さして支障はないのかもしれない。

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