「ネットには匿名性も必要」と平野啓一郎が思う訳 メタバースでの「思いがけない差別」に教育的価値

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――ほかにも理由が?

広い意味で「なりたい自分」と「現実の自分」とのギャップは、多くの人が感じるものだと思います。セクシュアリティーの問題とか、あるいは、もっといい服を着たいけど現実にはお金がないとか。

いろいろなことが、メタバースの世界にいくともっと自由になれる可能性がある。それはやっぱり、現代を生きる人々にとって大きいことなんじゃないかなと思います。

メタバース内で起きる「差別」

――平野さんの提唱する「分人主義」の考え方とも通じますが、確かにメタバースでは、リアル世界とは別の自分を生きられますね。

【用語解説】「分人主義」とは?
「個人(individual)」に代わる新しい人間のモデルとして、平野氏が提唱している概念。「個人」は、分割することのできない1人の人間であり、その中心にはたった1つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて社会生活を営むものと考えられている。これに対し「分人(dividual)」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格。中心に1つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉える。

例えばリアル世界では男性だけど、メタバースでは女性のアバターで活動しているような人も結構いて、それは彼の「分人」構成の1つとして女性アバターがある、という状態だと思います。

平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)/1975年、愛知県生れ、北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年、大学在学中に文芸誌『新潮』に投稿した「日蝕」により芥川賞を受賞。近年の小説作品に『マチネの終わりに』(2019年に映画化)、『ある男』(第70回読売文学賞)、『本心』(2024年に映画化)など。評論・エッセーに『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『死刑について』『三島由紀夫論』など(撮影:今井康一)

僕はこれには、教育的価値があるんじゃないかと思っています。かわいい女性アバターを使っている男性から実際に聞いたのですが、メタバースの中でいきなり卑猥なことを言ってきたり、胸を触ってきたりするやつがいるらしいんです。

彼は「アバターにすぎないんだけど、ものすごく不快感や暴力性を感じる」「女性として生きるのがどういうことなのかよくわかった」と話していました。

男性が女性のアバターで、というケースだけでなく、例えば白人が黒人のアバターでメタバース空間にいると、思いがけない差別を受けたり、怖い思いをしたりするかもしれない。多様性理解というか、そういう学習の場にも活用されうるのではないかと思います。

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