「余命1年」を淡々と受け入れられたある趣味の力 「大地に還る」という感覚が心の中によみがえった

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静かな山道をひとり登っていく。やがて緩やかな傾斜となり、周囲を見回すとブナの森となっている。大きな木の切り株に腰をかけて空を仰ぎ見る。そのときブナの新緑が、視界にある空一面を埋め尽くしている。鮮やかな緑の世界にくらくらとしてくる。このまま大地に還ってしまってもいい。そんな気分になってくる瞬間だ。大自然への畏敬の念にかられている。

おそらく、この「大地に還る」という感覚が、今回の余命宣告にあたっても心の中によみがえったのだと思う。

医療への距離感は、今回は診察、CT画像、入院生活などを通じて縮まっていき、進行がんを決定づける証拠が揃っていたことから、現実を受け入れざるを得なくなった。とはいえ、盲目的に医療を信じているわけではない。常に客観的に一歩引いたところから見ているつもりだ。そんな意識と「大地に還る」感覚があいまって、がんとの共存生活を決めたというわけである。

2007年、羊蹄山(北海道)に登頂(筆者撮影)

退院の日、はたして請求額は?

手術から6日後、退院の日がやってきた。朝5時前に目覚めた。5時過ぎには看護師さんが集荷袋にたまっている尿のチェックに訪れた。こちらが起きていることに気がつくと「後で採血があります」と小声で教えてくれた。6時過ぎ、採血2本。血を抜かれることにすっかり慣れてしまった。

9時過ぎには、荷物まとめもすべて片付き、後は会計が済むのを待つのみ。病室で待機していると主治医が回診にやって来て「まだ貧血が少し残っていますが、顔色もよくなってきたし大丈夫。1週間後に一度外来に来てください」とのことだった。

妻が10時前に到着し、1階に下りて会計を済ます。高額療養費制度を利用したので、25万6000円の請求額に対し、支払いは数万円で済んだ。ありがたい制度である。もっとも、これが医療費膨張の一因になっていると思うと心苦しいが、現役時代に保険料をさんざん納めたので今回は大目に見てもらおう。

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