「余命1年」を淡々と受け入れられたある趣味の力 「大地に還る」という感覚が心の中によみがえった

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1つは2010年、東日本大震災の前年に受けた人間ドックで「肺がん」と一方的に決めつけられ、大騒動になった体験だ。この時は精密検査をする前に外科部長に「肺がんで間違いない。早く切った方がすぐに治る」と言われ、「手術はしない」と応じたら、「何かの宗教に入っているのか」と言い出す始末。すぐにこの大学病院に見切りをつけ、北海道で1カ月間静養した後に、ある人の紹介で他の大学病院で再度診察を受けた。

最初の医師は「がんだねえ」との診断だったが、次に診てくれた胸部外科の医師はCT画像と10分以上もにらめっこして「山田さん、がんじゃないかもしれません」と意外な反応を示した。

最初の人間ドックから5人目で初めてのことだった。その後、苦しい生検、PET検査などを立て続けに受けた。結果は「グレー」。結局、抗生物質を投与しながら経過観察をすることになった。

半年後、いよいよ最終判定をする日になって、大地震が勃発。こうなると診察どころではない。こちらも仕事の連続だ。連絡がつかないままあっという間に1カ月が過ぎ、「がん判定」はうやむやのままになってしまった。

その後、何の症状も現れなかったから、人間ドックの判定はやはり誤診だったのだろう。この一件以来、おのずと医療に対して距離を取るようになっていた。今回の宣告にあたっても、その距離感が心の衝撃のクッションになったのかもしれない。

大自然との一体感を味わえた

2つ目の理由はアウトドア趣味の影響だ。小学生のころから里山を駆け巡って遊んできた。途中、山の世界を離れたが、30代になって突然復活。高尾山、扇山、大菩薩、奥多摩、そして八ヶ岳と山歩きのフィールドがどんどん広がっていった。30代後半から40代にかけては月に3回は泊りがけで出かけていた。

何が山に導くのか。絶景、それもある。達成感、満足感、それもある。いろんな充実感を味わえるなかで、もっとも強く印象に残っているのは山=大自然との一体感を味わえたことだろう。標高の高さ低さ、有名無名など一切関係ない。

余命宣告を受けて「大地に還る」という感覚が心の中によみがえった(筆者撮影)
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