「会議資料はコピペ」平安貴族の呆れた"ぬるさ" 「庶民のための政治」をする気は全然なかった
中国から導入した「律令制」の実情
古代日本では白村江の戦いでの敗戦を契機に、中央集権国家として国力を高めるため、唐を範とした律令国家の形成へと舵を切りました。朝廷は中国に学び、律令制を取り入れていきます。
「律令」の「律」は刑罰の体系であり、「令」は政治の体系です。律令制の導入は、日本社会に体系だった法律が導入されたことを意味します。
しかし、中国から借りてきた律令には、当時の日本社会の実情にはそぐわないものも多くありました。そのため、古代日本の律令のなかには、実際には使われなかった法令があった可能性が高いのです。
特に平安時代には、法律で定められたことと実際の運用の間に、大きなズレがあったと思える点も少なくありません。


















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