人間というのは誰でもそうとう大きな能力を持っている。見た限りではたいしたことないと思われる人でも、本当はたいへんな力を持っている。自分の聞き方、接し方が悪いから、その力が見えてこないのだ……そのように、人を見なければいけない。見抜けない自分を自覚しなければいけない。
ところが私たちには、なかなかそれができない。ほめるということを、口先だけでやっている。それで、人が感動してくれないという。当たり前である。本質的にほめていないにもかかわらず、口だけでほめても、人が動くわけはない。
肩書に関係なく人と接する松下
松下のすごいところは、肩書のある人、有名な人に対してだけでなく、たとえ自分の部下や新入社員に対しても、まったく同じように相手の本質を心から評価して接していたことである。
私が松下のもとで仕事をしはじめた頃のことであった。テレビ事業部の事業部長と役員が、テレビの試作品を持ってきたことがある。技術屋さんも含め、総がかり6名ほどもいる。いかにこの製品がすばらしいか、いかに映りがいいかと、緊張しきって説明を続けている。そこへちょうど、事務の女性社員がお茶を運んできた。松下は、その女性社員に尋ねはじめた。
「あんた、ちょっとこのテレビ、どう思う。形、どうや。色はどうや」
「これを回してみてくれや」
昭和40年代の初め頃、まだチャンネルをカチャカチャと回している時代であった。私は少なからず驚いたことを覚えている。試作品の検討といえば、社にとっては重大なことである。本職の技術屋さんが一生懸命説明したばかりだ。それを、お茶を運んできた事務員にも意見を求める。
だが、よく考えればそのテレビを買うのは、技術者でもなければ営業マンでもない。ごく普通の人たちである。だとすれば、女性の社員に率直な意見を求めるのがいちばん適切である。松下はそのとき、格式、権威、威厳などにはまったく関係なく、ただ純粋に率直な意見を聞きたかったのである。そういうことが自然にできる人だった。
自分より下の立場の人を心からほめるというのは、なかなか難しいものである。しかし、ほめれば人は感動するものだなどという考えで、部下を口だけでほめていると、部下もだんだんとこの上司は口だけで、ほんとうに自分を評価しているのではないということがわかってくる。だから、部下は喜ばないばかりか、その上司を信用しないようになったり、反抗的になったりする。逆効果である。
人間の本質をどう評価しているか……この、「人間観をどう持つか」ということは非常に重要なことである。だから、この後も何度か繰り返し述べることになる。このボタンをかけちがえないことが重要である。
言ってみれば、もし優れた人間観を完全に会得しているならば、ほかのことは後から自然についてくる。そして、ここをないがしろにするならば、どれだけ優れたテクニックを身につけても、成功への道は逆風で険しく厳しいものになるだろう。
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