しかし、今、所有物や土地、領土をめぐって、国や民族という単位が戦争を起こしています。この点を解消する方向へ向かわなければならないのではないでしょうか。
人が移動することによって、所有は減るでしょう。多地域居住で転々としていくなら、ハウスシェア、カーシェアなど、共有財が増えればいいのです。
日本には900万戸もの空き家がありますが、それらをちょっと改造すれば、いくらでも住める家ができる。地方の自治体が少しお金をかけて整備すれば、関係人口や流動人口を招くことができるでしょう。
「モノ」は人と人とを繋ぐものだった
所有するモノの価値は、我々自身が決めているのではなく、マーケットが決めているという問題もあります。そして、グローバル企業がそれを人々に買わせている。
その結果、モノが人を分断するようになってしまいました。持っている人と持っていない人との格差が生まれているのです。
本来、モノは、人と人とを繋ぐものでした。それを人から預かることによって、「その人がどう使っていたのか」という感触が自分に移る。モノが移ったことによって、その人と繋がることができたわけです。
着物がその例でしょう。私の妻の実家は、築150年以上の家で、タンスの中には、昔の人が着ていた着物がたくさん眠っています。歴史があり、それを子孫に渡すことができるのです。着物を仕立て直して、娘に着せてやったこともあります。
人と人は、そうやって世代を超えて繋がるはずでした。ところが、今は、モノをどんどん入れ替えなければならなくなった。電気製品などがその典型です。
しかも、その価値はマーケットが決めている。つまり、人々は、マーケットの価値を背負って生きているわけです。そんなものは、本来の人間の生き方ではない。
『「組織と人数」の絶対法則』に書かれている「ダンバー数」は、実は、現代の狩猟採集民の平均的な村の規模なのです。現代人として脳が大きくなっても、その数をずっと維持してきた人々が、狩猟採集民であるとも言えるでしょう。
農耕牧畜という生活を嫌って、自然の恵みを拾い上げながら各地を移動してきた人々であり、その暮らしは、現代人の心身にも埋め込まれているのです。
我々はまだ、定住や所有という暮らしには慣れていない。だから暴力が起きる。そのことを、もう一度思い返さなければなりません。
(構成:泉美木蘭)
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