「持たない暮らし」が人間本来の生き方である理由 定住や所有のない「第2のノマディズム時代」

✎ 1〜 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10 ✎ 11
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、今、所有物や土地、領土をめぐって、国や民族という単位が戦争を起こしています。この点を解消する方向へ向かわなければならないのではないでしょうか。

人が移動することによって、所有は減るでしょう。多地域居住で転々としていくなら、ハウスシェア、カーシェアなど、共有財が増えればいいのです。

日本には900万戸もの空き家がありますが、それらをちょっと改造すれば、いくらでも住める家ができる。地方の自治体が少しお金をかけて整備すれば、関係人口や流動人口を招くことができるでしょう。

「モノ」は人と人とを繋ぐものだった

所有するモノの価値は、我々自身が決めているのではなく、マーケットが決めているという問題もあります。そして、グローバル企業がそれを人々に買わせている。

その結果、モノが人を分断するようになってしまいました。持っている人と持っていない人との格差が生まれているのです。

本来、モノは、人と人とを繋ぐものでした。それを人から預かることによって、「その人がどう使っていたのか」という感触が自分に移る。モノが移ったことによって、その人と繋がることができたわけです。

着物がその例でしょう。私の妻の実家は、築150年以上の家で、タンスの中には、昔の人が着ていた着物がたくさん眠っています。歴史があり、それを子孫に渡すことができるのです。着物を仕立て直して、娘に着せてやったこともあります。

人と人は、そうやって世代を超えて繋がるはずでした。ところが、今は、モノをどんどん入れ替えなければならなくなった。電気製品などがその典型です。

しかも、その価値はマーケットが決めている。つまり、人々は、マーケットの価値を背負って生きているわけです。そんなものは、本来の人間の生き方ではない。

『「組織と人数」の絶対法則』に書かれている「ダンバー数」は、実は、現代の狩猟採集民の平均的な村の規模なのです。現代人として脳が大きくなっても、その数をずっと維持してきた人々が、狩猟採集民であるとも言えるでしょう。

農耕牧畜という生活を嫌って、自然の恵みを拾い上げながら各地を移動してきた人々であり、その暮らしは、現代人の心身にも埋め込まれているのです。

我々はまだ、定住や所有という暮らしには慣れていない。だから暴力が起きる。そのことを、もう一度思い返さなければなりません。

(構成:泉美木蘭)

山極 壽一 総合地球環境学研究所所長、霊長類学者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

やまぎわ じゅいち / Juichi Yamagiwa

京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程退学、理学博士。日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、教授を経て、2014年10月1日より2020年9月末まで京都大学総長。現在、総合地球環境学研究所所長。『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(家の光協会)、『スマホを捨てたい子どもたち』(ポプラ新書)、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(朝日新書)、『猿声人語』(青土社)、『動物たちは何をしゃべっているのか?』(共著、集英社)、『共感革命』(河出新書)など著書多数。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事