定年世代が戸惑う「多様性の時代」の受け入れ方 「高度経済成長期」は迷うほど選択肢がなかった

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高度経済成長期には「サラリーマンは気楽な稼業」と歌われ、バブルの頃には「24時間戦えますか?」とあおられながらも懸命に働いていました。「一億総中流時代」なんて言われたこともあります。

その理由は、選択肢が少なかったからです。いや、本当はたくさんあったのでしょう。しかしまわりの人たちも同じように働いていたため、疑問を持つこともなく一生懸命になれたのです。そして、がんばった分だけ、より良い人生が待っていると信じられました。日本の経済は右肩上がりで、賃金テーブルのとおりに給料が上がり、実際に生活がよくなっていった人が多かったのです。

「多様性」を突きつけられる定年世代

人と同じであることが、幸せの基準であったような時代です。上司や先輩、あるいは親の生き方が見本でした。そういう意味では現在地も目的地もわかりやすく、人生の解像度は高かったのではないかと思います。「ジャムの法則」でいえば、ジャムは6種類しか置いていないし、その中の大人気商品を買っておけば間違いなかったのです。

当時の会社員はモーレツに忙しかったでしょうが、懸命に働けばその先の幸せが見えていますから、心理的成功も得やすかったはずです。それに比べると、現代は心理的成功を得るのが難しくなりました。とりわけ、昭和から令和を股にかけて生きてきた「昭和世代」の戸惑いは大きいようです。

私の運営するコミュニティには、さまざまな企業の人事担当者が集まる会もあるのですが、大企業では社員の定年後の生き方が議論の一大テーマになっているといいます。実際に、プロティアン・キャリア協会に所属している長谷川さんは、定年前の58歳の頃、仕事帰りに映画『終わった人』を観て、定年後の人生に焦りを覚えたそうです。

『終わった人』は内館牧子さんの小説を原作にした映画で、大手銀行の子会社で定年を迎えた主人公の男性が、第2のキャリアを築くために奮闘する姿を描いています。仕事=人生だった男の「定年って生前葬だな」とつぶやく姿がリアルで、長谷川さんも「自分のことだ」と感じて行動を始めたそうです。

長谷川さんはとにかく、定年後に関連する本を読み漁りました。なぜなら、他の人がどうしているのかわからなかったからです。

今定年を迎えている人、またはこれから定年となる人たちは、若い頃はいわゆる昭和の価値観で懸命に働いてきました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という時代を経験し、明るい将来を疑わずに生きてきたわけです。

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