「それは違う」「嫌だ」そう言える人は素敵だと思う ジェーン・スー×桜林直子が雑談で交わした事
この動詞を見つけるワークのなかに、「お金のために働かなくていいとしたら、毎日何をして過ごしますか?」という問いがありました。その問いにわたしは「雑談していたい」と答えました。「みんなもそうじゃないの?」と思いましたが、これもまた全員が違う答えでした。
このとき、自分が人とのおしゃべりが相当好きだということをはっきり自覚しました。こんなにもみんな違うのなら取り合いになるわけでもないし、わたしはわたしの「好き」をどんどんやってもいいはずだと思えて、雑談の仕事を立ち上げるに至りました。
職場疲れによって休職している方と話をする機会がありました。体も心も疲れているように見受けられましたが、週に一度の趣味の習い事にはちゃんと通えていました。
人との関わり方が不器用な方で、それが休職の原因でもあったので、毎回大勢の知らない人と関わる習い事をして大丈夫かなと心配しましたが、「自分がやりたくてやってることだといつも気になる他人の目が全然気にならないんです」とおっしゃる。それだと大きく頷きました。
本当に興味や関心があることに対して人は真摯に向き合います。たとえ人の目を気にする性格であっても、本当に自分がしたいことに集中していると周りが目に入ってこないのです。
その場所でうまくやれるか、じゃなくて、自分が望んでいるか、自分が本当に興味を持ってやっているか。そこが本当に大事なのだと思います。
「役に立ちたい」は自分の欲か
人の期待に応えたいとか、誰かを助けたい、役に立ちたいという動機からやる気が出てくる側面はもちろんあるでしょう。人が喜んでくれたらうれしいし、誰かの助けになることはひとつの原動力になります。
しかしそれは、自分の内側から湧いてくる欲とは別ものだと思います。
一緒にしてしまいがちだけど、ここは注意深く慎重に、本当に自分の内側から湧いてきてる欲か、それとも誰かの期待に応えたいのか、区別して取り扱ったほうがいいです。