国の経済発展をもたらすのは「政治制度」ではない 「ノーベル経済学賞」のアセモグル教授らに反論

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経済学の泰斗であった宇沢弘文・東京大学名誉教授によれば、彼が言う社会的共通資本とは、自然環境、社会的インフラ、そして制度資本の3つとされる。

ただ、自然環境と社会インフラはこれまでの経済学やそのほかのところでも十分議論されているし、3つ目の制度資本の議論は重要だが、宇沢氏が例として挙げる医療制度や教育制度は、それぞれの社会の価値観に基づき、工夫して試行錯誤して作っていくしかない、と私は思うから、この三類型以外の社会資本が重要だと考える。

「株式会社の利益最大化」とは矛盾しないのか?

では、前述の①から⑧の社会資本から、上記の宇沢氏の3類型を除くと何が残るか? 社会学でいうところのsocial capital(社会関係性資本)は、①から⑧の中に含まれているが、それ以上に微妙なものがここには含まれており、それこそが重要だと考える。

もう一度上記の車いすの例をみてみよう。まず、①の車いすの入手は経済力と解釈しよう。②の介助は、親族関係あるいは経済力あるいはコミュニティの善意の助け合い、あるいは社会主義的な政府サービス(福祉とか社会民主主義的と言ってもいいが)ということで、選択肢があり、代替が可能である。だから、社会主義か資本主義か、前近代的家族制度か現代か、という問題ではない。どんな制度をとるにしても、社会資本の提供は可能なのである。制度ではなく、その奥にある何かが必要なのだ。

また、③の周囲の自発的な手伝い、は社会の力であり、これが社会学でいうsocial capitalのど真ん中にあるものだろう。

私がここで強調したいのは④の「ニーズに気づき、システマチックに解決しようとすること」だ。これこそが社会の力である。そして、どこから来るかよくわからない。どういう社会で④が豊かに生み出され、生まれない社会ではどこに生まれない理由があるのか。

さらにクライマックスは、⑤の組織的対応、⑥の現場の具体的な仕組み作り、⑦の担当者レベルの献身を含む対応だ。日本の場合は、一体的に地下鉄の運営会社によって実現されている。これができる民間企業(しかもまもなく上場する)とは、なんと素晴らしいことか。

しかし、これは株式会社の利益最大化となぜ矛盾しないのか。説明の仕方はいくつかある。経済学の授業的には、顧客満足度、世間評判システム、レピュテーション(評判)効果で、そのようなことをする地下鉄運営会社は顧客に支持されて、売り上げが増える、働いてみたいと思う人が増え、いい人材が採れる、もしかしたら寄付が集まるかもしれない、といった具合に説明される。長期的には合理的だ、という議論だ。

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