しかしながら、所沢は鉄道とともに航空機とも縁が深い街である。縁が深いどころか、日本における航空発祥の地とされている。というのも、1911年に日本初の飛行場が開設したのが、ここ所沢なのだ。
同市の公式Webサイトによると、所沢の特徴は「東京に近い」「交通の便が良い」「落雷が少ない」「地形が平坦」など。これらが飛行場の立地条件に適していたことから、1911年に飛行場ができた。
その後、国産飛行機の初飛行といったイベントや、気象観測所に操縦士・技術者を育成する学校などが建つなど、まさしく日本の航空が発展する拠点とともに、基地の街として栄えてきた。ちなみに、所沢駅前から延びる商店街の「プロぺ通り(プロペ商店街)」は、飛行機のプロペラが由来になっているという。
第2次世界大戦の終戦後は、周辺施設とともにアメリカ軍が接収し、基地の街としての所沢は下火に。その後、団地開発が進み人口が急激に増加したことから返還を求める声がたかまり、1971年から段階的に返還が始まった。
1978年にはプロ野球チーム・西鉄ライオンズが西武ライオンズとなって福岡にあった本拠地を市内へ移転。野球の街としての知名度も高まっていった。
ベッドタウンから「リビングタウン」へ さまざまな変化が起きた所沢
話は現代に戻り、特に中心部で近年進んできた再開発の立役者といえば、やはり西武グループだろう。
まず2014年から「所沢東口駅ビル計画」を推進し、2018年に所沢駅の駅ビルとして「グランエミオ所沢(第1期)」をオープン。続いて2020年に第2期として新たな駅設備や改札、コンコースなどもできたことで、東口の開発計画は一段落となった。
私見だが、西武鉄道沿線で育ち、学生時代は所沢駅で乗り換えていた身からすると、この所沢駅の変貌には目を見張るものがあった。再開発前の所沢駅といえば、池袋線と新宿線の接続駅ながら構内の施設はそこまで充実しておらず、他の沿線駅と大差なかった。
いうならば、乗り換え以外で利用するモチベーションが生まれなかった。リニューアル後は駅ビルにさまざまな店舗が入り、乗り換え以外の買い物や食事といった目的にある程度かなうような駅になったのではないか。
グランエミオの他、2021年には西武園ゆうえんちのリニューアルオープンやライオンズの本拠地・メットライフドーム(現・ベルーナドーム)の改修なども果たし、所沢の賑わいを創出してきた各施設が続々を生まれ変わらせてきた。
ベッドタウンから、「暮らす」「働く」「学ぶ」「遊ぶ」の4要素がそろった「リビングタウン」を標榜してこのような再開発を進めてきたが、その「最後のピース」と言えそうなのが、9月にオープンしたエミテラスである。
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