「50代独身、団地暮らし」に猛烈に惹かれるワケ 「団地のふたり」が織りなす"なんかいい暮らし"
シングルファーザーの父娘や、フラワーアレンジメントを生業としている同性愛者もいる。一度は引っ越したけれど、認知症になった母とふたりでもう一度団地で暮らしはじめた同級生(仲村トオル)もいて。
そういったさまざまな事情を抱えた人たちと、ふたりはほどよい距離感で共生していく。これもまた極めて現代的で、家族だけが拠り所ではない。近隣の人たちとつながりあうことを行いやすいのが団地というコミュニティである。
マンションよりも、ちょっとだけ家と家とが近く、かといって、必ず濃密に付き合わないといけない縛りがあるわけでもない。
ノエチは家に帰れば母親がご飯を作ってくれるけれど、なっちゃんとご飯を食べることのほうが多い。家も家族も持ちながら、仕事の帰りに立ち寄る場所がもうひとつあることで、気分転換できる。
ノエチも、家でひとり仕事していると停滞を感じるときがあるだろうけれど、食事だけは誰かといっしょにすることで回避できるだろう。
87歳まであと30年以上あるという現実
だが本当はふたりだってここでの生活に100パー満足しているわけではないのである。50代、更年期もくるし、若者に「おばさん」と言われることも心地よいわけではない。自分の日常が決して冴えているわけではないことは自覚している。
そこを深掘りしてもいいことはないから、遠くまで行かず浅瀬のところでちゃぷちゃぷと足を浸しているような日々を過ごすふたりを小説では、なっちゃんが「はぐれ者」と呼ぶ。
はぐれ者なりのゆるく心地よい日々。とてもうまくやっているようだが、それは互いにほどよく我慢することで成り立っている。長い付き合いの中で、ふたりの間では、先に弱ったほうをもう一方が助けるという暗黙のルールができていた。
それでも我慢できず、ときどきキレてしまうこともある(たぶん理屈っぽい野枝のほうがマイペースな自由人の奈津子に腹を立てることが多そうだ)。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら