兵庫県知事「鋼のメンタル」は強烈な自己愛が形成 出直し選挙では勝てる可能性を感じている
会見中、知事としての実績を縷々並べ、これまでの県政との違いをアピールします。現在の状況を招いたことについては謝罪しますが、道義的責任ではなく、結果責任を感じている旨を述べます。
一連の騒動に関しては「知事が職を辞すべきことなのかが根底にある」「本当にそこまで(=辞職)いかなければならなかったのか」「(告発文書の内容について)誹謗中傷と今でも思っている」と発言する場面もありました。
こうした発言中、知事の言動は一致しており、自身のしてきたことや考えは正しく、継続していくことが正義であると、本心から思っているのではないかと考えられます。こうした言動から自尊心の高さがうかがえます。
また、25日に高校生から励ましの手紙をもらい、出直し選挙をしようと決意したと会見で述べつつ、涙が出そうになる場面、少し前の11日に行われた会見で、選挙で支援を受けていた自民会派から辞職を申し入れられ、「申し訳ないなと。自分自身に悔しい」と涙を浮かべる場面から、自己愛の高さがうかがえます。
自分の味方からの声には感動したり、後悔の念を抱いたりする一方で、亡くなった職員について言及する場面では、「残念」という言葉はあるものの、涙を流したり、悲しみの表情を浮かべる場面はありません。
高い自尊心や自己愛の功罪
無論、自尊心や自己愛が高いことは悪いことではありません。自分の信念に自信を持ち、積極的な行動に移していくには必須な要素です。もし県民、県議会、職員などと足並みがそろえば、むしろ強力なリーダーシップを発揮できる武器になります。
多くの人が違和感を覚えるのは、本来は長所である一貫性が、知事の場合、パワハラ等に対する道義的責任を感じていない点に発揮されていることにあるのではないでしょうか。
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