党外勢力との連携協力が必要になったとはいえ、ヒンドゥー教重視の姿勢は続くだろう。ヒンドゥー至上主義を後退させるとインド人民党の母体である民族義勇団が黙ってはいないからだ。このためインド人民党内の基盤固めが最優先される。
インド人民党は公約として、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒とで別々に存在する民法について、統一民法典の制定を掲げてきた。政権が不安定になると、宗教感情をあおって大規模な宗教暴力が起きたり、「強いインド」に訴えてパキスタンなど周辺国との緊張が高まったりする懸念もある。
一方でモディは、インドがヒンドゥー至上主義国家と見られることの怖さを知っているはずだ。
モディの関与が疑惑となった2002年のグジャラート州でのイスラム教徒虐殺事件では、モディがアメリカから入国拒否の措置を取られた。中国に対抗する上でもインドは宗教の自由を保障する民主主義陣営であらねばならない。国内政治の混乱は投資環境にも悪影響を与えかねない。
多様性の中の統一
「民主主義のDNAが機能しインドがヒンドゥー教の国にはならなかった」ことは、建国の父ガンディーや、初代首相ネルーが目指した理想像への回帰を保障するものではない。
インドが多様性を重んじるが故に不安定さを甘受する昔の姿に戻るのか、それとも今までとは異なる形でモディ革命を受けた新たなインドの自画像を模索することになるのか、目が離せない状況となっている。
ベンガルールというインドを内側から知るための小さな窓から見えたのは、変わるインドと変わらないインドの接点で、化学反応の激しい火花を散らしながら今日も前に向かって進んでいる21世紀のインドの縮図だ。
「貧困」は「格差」という言葉に姿を変え、急速な経済発展は、マネーゲームの物語を繰り広げながら国土のあり様と国民の意識を大きく塗り替えている。
5年に一度の総選挙では、宗教や文化の違い、地方と中央の対立を包摂(ほうせつ)する装置として民主主義が機能し、インドを語る「多様性の中の統一」という常套句(じょうとうく)に新たな意味を付け加えていた。
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